【引用】セリフでも語るように、真野みすずはふいに言った。
「あたしはもう唄えない。続きは、あんたが唄って」
神の声を聴いたように、柏木ナナは立ち上がった。
「そんな……私なんて、とても……」
「大丈夫よ。人を殺すより、ずっと簡単だわ」
決して冗談には聴こえなかった。みすずは小さなステージから下り、青ざめ慄えるナナにマイクを押しつけると、耳元ではっきりとこう囁いた。「みんなに聴かせようとしちゃだめ。あんたの惚れた男のために、唄うのよ」
ナナは手を引かれてステージに連れ出された。
マイクを握って立ちすくんだまま、ナナは明らかに愛する男を探しあぐねていた。回転するミラーボールに顔を被い、間奏の終わる寸前になってやっと思いついたというふうに、ナナはスポットライトの輪の中に歩みこんだ。
【出典】集英社e文庫『【合本版】プリズンホテル 夏・秋・冬・春(kindle)』P614 著:浅田次郎
【目次】
■ 大歌手が、夢に潰れた歌手に贈る言葉
長い引用をしました。
プリズンホテルの二巻<秋>の名シーンですね。
ナナはドサ回りをして地域で唄って回り、来る日も来る日も有力者に体を弄ばれ、なんとか得たお金すらマネージャーの酒代、ギャンブルに消えてしまっていました。
ナナは、もう唄うことを捨てようとしていた。
それはもう、すさまじいまでの方法で。
そんなナナに、大歌手の真野みすずが、プリズンホテルのステージを下りて、マイクを渡しながら語った言葉がこれです。
<みんなに聴かせようとしちゃだめ。あんたの惚れた男のために、唄うのよ>
■ 私が「ブログを書く気力」を失うとき1
ナナの「唄うこと」ほど人生を賭けて「書くこと」を極めようともしていないし、そこまでの挫折を感じたことはないのだけど、書く気力を失うことはよくあります。
あなたはどんなときにブログへのやる気を失いますか?
私の場合、「アクセスがなく、書いている意味が感じられない」ということはありません。
アクセスがなくても、書く気力を失うことはない。
アクセス解析もちゃらんぽらんですからね。
でも、これにとても近いものがあります。
「誰に向かって書いた」というのがないとき。
どんな内容で、どれだけ長く書いても、どうしてもその記事に力を感じません。
空虚というか、抜け殻なんですよね。
魂がない。
変な話、「メッセージ性がない」って、魂がこもってないってことなんじゃないだろうか。
多くの人たちに向けて書いているときによく陥ります。虚ろな文章。
元気な文体で書いても、シリアスに書いても、そんなの関係ない。
相手がいないんですよね、自分の記事に。
そういう記事が続くと、極端に書く意欲を失います。
「ターゲットを持て」って、そんな簡単な話じゃないんですよ。
「30代女性、就学前の子ども2人っていう読者像を想定して」っていうような、そんな簡単な話じゃなくて、もっと限りなくシンプルで、もっともっと簡単な話なんです。
あなたが愛する人、大好きな人、そのたった一人に向かって手紙を書くといいって話です。
自分の味方をしてくれているあの人に向かって。
■ 私が「ブログを書く気力」を失うとき2
私が書く気力がなくなる一番の根源は「相手がいない」ということだと書いているうちに気づきましたが、今の書き方だと、物理的に相手を奪われていくということにも気づきました。
「時間」にです。
私は、誰に書くかということを、多くの場合その都度Twitterで得ていました。
今回の記事も実はそう。
ただ、Twitterをやる暇がなくなり、低浮上が続くと、私の中で「相手」がいなくなります。
でも、そんなときでも、「相手」を想像できることを教えてもらいました。
そうですよね。愛する人に向かって書くといいんですね。
大好きなブロガーさん、ブログ友だちがいますが、その人たちの中に、
「将来の娘のために書いている」
という人がいます。
母が娘に語る、父が息子に語る、そうやって書かれた小説や本があります。
とても素晴らしい本ですよね。
自分が亡くなる前に奥さんへ書いた本も心を打ちます。
なんだろう、ありきたりな言葉でもう一度いってしまうと、魂がこもるんですよ。
そのとても長い、本になるほどのメッセージに。
■ あなたは誰に向かって書きますか?
自分の子どもに向かって書くのもいいよね。
愛妻に向かって書いてもいい。
顔は知らないけど、SNSで出逢えた友だちに向かって書くのも素敵。
とても悲しいことがあったなら、目の前の友だちに聴いてもらうように書くといいと思います。
もちろん、「こんなことで悩んでいるんだ」って、未来の自分に向かって書いてもいい。
あなたは誰に向かって書きますか??
きっと、その相手が具体的であればあるほど、魂のこもった「力ある記事」が書けるから。
【引用】見上げる板長の姿の、何とまばゆいことだろう。糊のきいた白衣の腕を組んで、厨房の神は最後の訓(おし)えを口にした。「構えるな、服部。料理は理屈じゃねえぞ。おめえが昔、おやじや兄弟たちにこさえてやったような料理を、天皇陛下にも大統領にもたんと食わしてやるんだ。それができるのはおめえだけだ。だからこそおめえは--」
板長の頬を、信じがたい涙が伝った。
「それでこそおめえは、天下の料理人だ。天下の……総料理長(グラン・シェフ)だ」
【出典】集英社e文庫『【合本版】プリズンホテル 夏・秋・冬・春(kindle)』 著:浅田次郎