【引用】時間がすべて何かのための手段になってしまい、今このときの価値が失われていたのだ。中年期には、多くの人が自分の死を意識しはじめる。死を意識すると、将来のためだけに生きることの不条理さを無視できなくなる。
そのうち「将来」はなくなってしまうのに、将来に備えつづけることに何の意味があるのだろう?
【出典】株式会社かんき出版『限りある時間の使い方』P184 著:オリバー・バークマン 訳:高橋璃子
ということです。冒頭から引用♪
【目次】
- ■ 「何のためでもないことをする」をしてみる
- ■ 「何のためでもないこと【非目標性の行動】」とは例えば・・・
- ■ 「何のためでもないこと【非目標性の行動】」をして気づいたこと
- ■ 何か遠くを目指しすぎて空虚になっているあなたへ
■ 「何のためでもないことをする」をしてみる
ほんと仕事とか学校とか行ってると、ほとんどの行動が「何かのため」(←【目標性の行動】)なんですよね。
それに染まっているからあんまり気づけないんですけど、「何のためでもないこと(←【非目標性の行動】)をする」をしてみたら、その多さを意識できました。
「日々の【目標性の行動】にいつか気づくために、【非目標性の行動】をしてみた」
ってわけじゃないんですよ。
副産物的にこれは気づいたって感じ。
■ 「何のためでもないこと【非目標性の行動】」とは例えば・・・
「何のためでもないこと【非目標性の行動】」とは、そのまんまなんですけど、目標を達成しようとしない行為です。
他の人が何か意味を見出すとか関係ない。
自分が「何も目指してない」とする行為です。
ブログの記事を書くにしても、「将来の収入のために書いていく」となると【目標性の行動】になりますけど、「ただ書くのを楽しんでる」という行為なら【非目標性の行動】となります。
オルさん(愛妻)との話って、目標があることもあるけど、「目指すところが無い」方がうまくいく。
友だちや、仲のいい人との雑談って、まさに【非目標性の行動】ですね。
「この人と夜の営みを円滑に行うために、今お話ししておこう」なんてことないでしょ?
「あなた、そういうとき多いけどね(オルさん談)」
・・・
散歩もいいです♪
【引用】他のあらゆる活動と違って、歩くときにはうまいとか下手だとか考えなくてすむ。4歳のときから歩行スキルはそんなに変わっていないはずだ。さらに、行き先や目的があって歩いているのではなく、歩くこと自体を楽しむことができる(中略)体力がつくなどのメリットはあるとしても、それがハイキングの目的というわけではない。
哲学者のキーラン・セティヤはこういう活動を「非目標性の活動」と呼ぶ。
【出典】株式会社かんき出版『限りある時間の使い方』P182,183 著:オリバー・バークマン 訳:高橋璃子
「何かを得ようとしない読書」も【非目標性の行動】。
もう何か得ようとする読書ばっかりしてたので、めちゃくちゃ新鮮でした。
乱読級に本を読んでいたんで、友だちにこんなこと言われちゃったりして、
いやいや私はたかせ様は読書貴族だと思ってますよ。たまに呟かれる読書関連ツイートが、その本どうこうじゃなくて、、
— ニエタギルゴボウ (@nietagirugobou) 2022年10月10日
グワっときます🤡(?)
そう見てる人間も🤡ここにいるわけです(実在してます)
ちょっとうれしい💕
■ 「何のためでもないこと【非目標性の行動】」をして気づいたこと
「目標も無く行動するなんて、空虚じゃない?」
そう思っていたのですが、なんか違う。
これ、禅的思考と同じだ♪
即今只今・・・だっけ?
自分に限っていうと、目標があって行動していたときの方が空虚でした。
~のためにする。
~になりたくてする。
~を目指してやっている。
全ての【目標性の行動】が、何かを達成する未来のための行動で、今を生きていない感じ。
【目標性の行動】こそが、今を空虚に感じさせていて・・・価値が向こうにありすぎてっていう。
面白いんですが、【非目標性の行動】をすればするほど、「今、それをすることが目標になっていく」。
【非目標性の行動】なのに、只今やっていること自体を目標にした【目標性の行動】になる。
実に面白い。
・・・このフレーズ、好き。
実に面白い。
【非目標性の行動】をすることで、今を生きられる。
今やっていること自体に楽しみを見いだせる。
未来を埋めるために現在を空虚にしていた自分の今が埋まっていきます。
瞑想の良さも、そこなんだろうなぁ。