■ 「Twitterスペースをやる目的」=「雑談の目的」
Twitterのスペースやってて感じるのですが、本当に「THE 雑談」ですよねぇ。
あなたは「雑談の目的」って何だと思いますか?
そもそも考えたことある?
私は考えたこともなかったですけど、持っていると違うんだろうなぁって感じてます。
で、これ、答えが無いんですよね。
「自分の答えを持ってればいい」ってレベルのやつです。
もっというと、持ってなくてもいいのだろうけど、持ってると楽しいし、ラクだと思って。
「なんでスペースやるの?」って訊かれたとき、
「スペースって雑談じゃん?雑談ってさぁ・・・」
みたいに説明できるし、いざスペースやっているときも、色々なこと間違わないですむ。
■ で、私が雑談する目的
「絆づくり」ですね♪
雑談する目的とは「絆づくり」である。
家族との雑談、友だちとの雑談、職場仲間との雑談、全てそうです。
「絆づくり」以外の目的が入ってくると、「雑談」じゃなくなる気がするんですよ。
「情報伝達」が目的だと、「報告会」?
「何かを決定すること」が目的だと、「会議」?
「誰かが教えを説いている」なら、「講義・講演」?
「雑談」じゃない気がする。
「雑談」の目的とは「絆づくり」である。これで行きたいな、私。
■ 「絆づくり」の雑談で大事なこと
これも失敗談♪
関西人を言い訳にしたら関西の方に失礼なんですけど、関西人である私は、常に話に「オチ」を求められていました。
仲間内ではそれが面白いので、関西の仲間同士では、いまだに「オチ」で遊んでいるし、
「ほんま、お前の話は『オチ』なしやなぁ」
なんてツッコミ入れられて笑って楽しんでる。
ただ、雑談に「オチ」はいらないんですよね。
「絆づくり」のための雑談って、大切なのが雑談している人たちとの言葉のやりとりを繋げ続けることです。
キャッチボールをしつづけることです。
会話し続けることです。
会話なので、聞くに徹していても面白くないし、話し続けてても「絆づくり」は達成できない。
奥さんとの会話もそうなんだよなぁ・・・
「要点は何?」なんて禁句ですよねぇ。
「絆づくり」が目的の会話は、繋げ続けることが大事。
そんな中で「オチ」のある話をぶち込んでいくと、終わってしまうんですよね。
ウケてもウケなくても。
みんなやさしいから、
「ウケるぅ~」
「面白いねぇ」
って言ってくれるんですけど、話がオチてしまったのだから、で、どうする?って。
まぁ、なんとなく達人が、話を受けて展開してくれるんですけど、なかなか難しいですよね。
雑談に「オチ」はいらないんですねぇ。
どこかで読みましたが、これは実感しました。
ただ、ちょっとラクになりません?
「別に『オチ』いらないんだ」って。
私だけか♪話に「オチ」がなくても話ていいっていうのは。
目立ちたがり屋の自分への自戒にもなります♪
仲間を楽しませようとするのはいいのですが、ウケを狙いまくる必要もないというね。
「絡みにくい」
「暴走してる」
なんて言われちゃいます♪
愛をもって、私はツッコまれました。
【引用】ひとり勝ちは自分本位であり、幸福を周囲に還元せずひとり占めすることは、罪なのです。
「自分を中心に場が回っていることは、気持ちいい」
「自分さえ面白くて魅力的と思われ、周囲より卓越していることで気持ちよくなれれば、それでいい」
この考え方には決定的に「愛」が欠落しています。
【出典】新潮社『ウケる技術』P245 著:水野敬也・小林昌平・山本周嗣
そこまで自分中心に話をすすめたいなんて思ってないけど、ちょっと近いものがありますよね。
ウケを狙いたいし♪
でも必要なのは、みんなが楽しむことなんですよね。
自分もふくめて。
「絆づくり」が目的の会話(雑談)は、繋げ続けることが大事。
楽しみ続ける♪それが一番。
■ Twitterスペースでの反省
さらにスペースで反省したこと。
「雑談」の目的とは「絆づくり」である。
これを意識していくと、私自身はスペースでの立ち位置を間違えないと思い出しました。
この間の反省。
Twitterのスペースって、スピーカー(話している人)とリスナー(聞いている人)がいます。
自分がスピーカーしていて、他のスピーカーの皆さんとの「雑談」は、できている絆を「さらに深めていく」という感じでした。
初めての方はいなかったので。
そこはよかったのです。
聞いてくれている人たちとの「絆づくり」で残念だったなと。
わざわざ時間を割いて来てくれている方です。
友だちになる「きっかけ」をくれているのに、話すことばっかりに集中して、誰に聞いてもらっているかを把握できなかったんですよね。
すごい残念な気持ちでした。
次回は、しっかりフォローさせていただいて、きっかけを繋いでいきたいと感じています。