ヴィクトール・フランクルさんの『夜と霧』を読み込んでいます。
愛妻が一言、
「でも、私たちの弱さって、歴史に弱いことよね。背景とか分かるの?」
分っかんねぇ・・・
ということでコテンラジオのヒトラー編を聞いているんですね。
あ、コテンラジオというのは、ポドキャストなどで聞ける、歴史を面白く学べるコンテンツです♪
樋口聖典さん、楊睿之さん、深井龍之介さんの3人がホスト。
でもね、ヒトラーにもホロコーストにもぜんぜん関係ないんだけど、樋口さんの「流暢さ」の話が面白かったのでご紹介します。
【目次】
■ 流暢さとは
コテンラジオでも、「どんどん話すの慣れて、流暢になってきたねぇ」って話から、
「いやいや、まだ噛みまくってますよっ」てところへの樋口さんの返しね。
【引用】「かんでも関係ねぇと思うことが流暢さだと思う」『歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO) #39 「独裁者ヒトラー!破滅へのカウントダウン」樋口聖典さんの話
流暢に話したいなと考えたとき、
「かむのをなんとかしたいな」
と考えるのが普通だと思うんですよね。
でも、樋口さんのような考え方もあるみたい。
<かんでも関係ねぇと思うことが流暢さ>
■ 音楽の流暢さもそうらしい
樋口さんは音楽にも長けている方なんですが、その音楽でもそうなんだって。
ベースで音ミスったときに、「ゥウゥ~ン」って、シレッと元の音に合わせちゃえば、失敗を無かったことにできる。
この無かったことにできる筋力が大切らしい。
歌でもそうなのかな。
遅れて歌ったり、少し外すことあるじゃない。
普通に歌われると、
「そういう技法なんだろうな」って思っちゃうもんね。
というか、そもそも観客はそんなの気にしてないのかもね。
聞いている相手は、話し手が噛もうが、歌い手が外そうが、すぐ流してしまう。
そもそもそんなこと覚えてない。
いつまでも「失敗したぁ」とクヨクヨするのは私か。
一生懸命誰かのために話し、歌っているのだから、相手は小さい失敗なんてきっとすぐ流してくれるはず。
そう信じることが流暢さなのかもしれませんね。
■ ブログの流暢さ
さっぴーに言われて気づいたのだけど、もう私、ネット上に文章を書き出して20年も経ってるんだって。
2001年からだもんね。
驚きですよ。
気持ちは初心者&未熟者として、アイデアホイホイは
「2021年12月からスタートしたな」
なんて考えているけど、そっかぁ20年かぁ。
「20年でまだそのレベルかよ!」
なんて自分に言ったり、人から言われてるような気がしたりしちゃうけど、そんなの関係ないねぇ♪っていうのが、ブログの流暢さだな。
書けない理由、言い訳なんてうなるほどあるんですよ。
だって、人が見る文章だもの。
見られるからこそ磨かれる。
磨かれるくらいだから、ヤスリで痛いし、恥ずかしい。
完璧主義だと書き上げたってアップできない。
テーマにあわないんじゃないか、質がいまいち、読まれなかったらどうしよう、人を傷つけたりしないかしら。
ブログの流暢さって、そういう言い訳に対して、自分で「そんなの関係ねぇ」って記事をアップしちゃうのが流暢さだと思う。
ということで、
誤字脱字あるかもしれません(そんなの関係ねぇ)
それだけでなく、読むにたえないとこやら(そんなの関係ねぇ)
価値すら感じられない、言語だとも思えないなどあるかもしれませんが(そんなの関係ねぇ)
誠に勝手ながら、今日も今日とて、記事をアップさせていただきます。
とにかく書く📝ブログを書く📝考えすぎて書けなくなっていたけど、自分が楽しんで書く📝わたしが引き込まれるブログは、楽しんで書いてる人のブログだったって、今さら気づいたよ〜😅大事なこと😊
— いせめぐ〜ブロガーを名乗りたい主婦〜 (@happydrop_s) 2022年3月6日
めぐちゃんに賛成♪ブログ書くことって本当に楽しいからさ♪
一緒にふわふわ遊んでいきましょう!