「ipad・・・忘れた」
ブログを更新しようとした矢先です。
職場にipadを忘れたことに気づき、今日一日が終わりました。
俺のゲームタイム、俺のブロガータイム、俺の○○○ー○ー○⚪︎○タイムを返せ。
ま、ここまで些細なことでこれほどまでドン底に落ちれるのは高瀬だけだと思いますけど、小さいことにくよくよしちゃうのはフォーカシング・イリュージョンにやられているかもよ!って話。
アイデアホイホイ、はっじまるよぉ!
■ フォーカシング・イリュージョンとは?
なんなんでしょうね?フォーカシング・イリュージョンって。【引用】ノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンは、次のように説明している。フォーカシング・イリュージョンとは「特定のことについて集中して考えているあいだはそれが人生の重要な要素のように思えても、実際にはあなたが思うほど重要なことでもなんでもない」という錯覚を表す言葉だと。つまり、人生における「特定の要素」だけに意識を集中させると、その要素が人生に与える影響を大きく見積もり過ぎてしまう。
【出典】サンマーク出版『Think clearly』P114 著:ロルフ・ドベリ 訳:安原実津
今日テレビで観てたら、赤ちゃんが自分のお菓子、ワンコに取られて大泣きしてる可愛いVTRやってたんですよ。
あれです。フォーカシング・イリュージョンって。
友だちがね、ゲーム内でせっかく貯めた石をガチャに全部投入したらしいんですよ。
そしたら88連でカスばっかりだったそうで、iphone割るところだったそうです。
これです。フォーカシング・イリュージョンって。
赤ちゃんにとって、あのお菓子は人生におけるとんでもなく重要な要素だったので、それが犬に食われたときは、この世の終わりを感じたのでしょう。
3年後には、この赤ちゃんも自分の動画を観て笑っていると思います。
お菓子が人生における重要な要素だったのは錯覚だったなって。3歳児が。
友だちにとってもそう。ゲームで石を貯めるのは大変だったかもしれませんが、ガチャの外れ大当たりで人生の憂いを感じることはありません。
当たれば天にも昇る気持ちになるのも、フォーカシング・イリュージョン。
3年も経てば、「あのハズれ(アタリ)が何だったんだろう」と。3日で十分か?
ま、こういうときに「友だち」として語られることは、大抵自分の話なんですけどね。
■ 焦点をズラすと見え方が変わる
【引用】世の中に「絶対的なこと」はほとんどなく、ものの感じ方や経験の持つ意味は「何に焦点を合わせるか」によって違ってくる。【出典】三笠書房『アンソニー・ロビンズの自分を磨く』P62 著:アンソニー・ロビンズ 訳:本田健
高瀬はまだ起こってもいないことでよく不安になります。
ああでもない、こうでもないとよく悩みます。
でも、少し焦点をズラすとその悩み・不安も見え方が変わってくる。
例えば時間をズラすとか。
1年前の悩みを高瀬は覚えていません。ということは、1年後、今抱えている悩みなんて無に帰しているということか・・・ってな具合。
大自然的視野から見るとかもよくあるよね。
「この大空の大きさ・・・これに比べたら高瀬がipadを忘れたことなんて、なんと小さいことよ」
みたいな。
もしかしたら、今くよくよしていることって、フォーカシング・イリュージョンにやられてるかもよ?
■ 改めましてフォーカシング・イリュージョンに騙されるな
じゃ、最後に名言を一つ。【名言】人生はクローズアップで見れば悲劇だが、
ロングショットで見れば喜劇である。~チャーリー・チャップリン~
当事者じゃないので、なんとも言えないんですがね高瀬は。
ただ、高瀬自身のことはなんとでも言えます。
きっと僕が嫁さんと今晩楽しい夜を過ごすことができなかったのは、超ガッカリだけど、フォーカシング・イリュージョン、小さいことだな・・・と。
ロングショットで見れば、
「ねぇ、今晩どう?」
「は?・・・おやすみ。」
ネタ以外の何物でもないよね。つまり、喜劇だ。
でも、今は泣いてもいいですか?
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