あの2月28日は特に変わったことのない普通の日でした。
学校での仕事が終わり、
「ありがとうございました!」
と、いつも通り挨拶をして職員室を後にします。
今日の晩ご飯は何かな。
お義母さんは何を作ってくれるんだろう。
おなかペコペコ。
そんなことを考えながら、運転をして帰りました。
家につくと、誰もいない。
でも、これもいつものこと。
当時4年生だった息子も、小学校卒業をひかえた娘も、隣りにある彼らのおばあちゃんの家、私にとっての義理の母の家に行っているのです。
子どもと同じく、我が家に荷物だけおき、いそいそと隣の家に向かいます。
そして、家では言わなかった、
「ただいま帰りました!」
と叫ぶ。
「お帰り」
「あ、早かったね」
そっけないのは子どもたちですが、
「お帰り♪今日もおつかれさまぁ~。仕事大変だったかい?」
とあたたかく出迎えてくれるのはお義母さん。
「今日もみんな元気でした」
「そりゃ~よかった♪今日は子どもに合わせちゃったけど、チーズハンバーグです。」
「あ、もう玄関入ったときから香りで分かりました。大好きです。」
そんな会話をかわしながら、食卓の準備をします。
カミさんは職場で会議があり遅くなり、お義父さんも地区の会合。
4人で先に食べることになりました。
「いただきま~す」
ハンバーグは熱々。
かむと肉汁、チーズがしみだします。
ご飯と一緒に食べると絶品で、一つのハンバーグで2膳はいけるな、と思っていると、娘は4杯おかわりしていました。
「食べ過ぎじゃない?」
と心配すると、
「だって、おいしいからしょうがないじゃん。ご飯がすすむすすむ。」
「そう言ってもらえると、作ったばあばとしては本当にうれしいわ♪いっぱいお食べな」
みんなでおなかパンパンになるまで食べて、楽しい食卓は終わりを迎えます。
そして必ず帰るときには、
「ごちそうさまでした!」
と玄関でいい、
「は~い!またあしたね」
とお義母さんの台所からの返事をきいて家に帰ります。
2月29日16時08分、仕事中、携帯に着信。
スマホにはカミさんの名前が。
「はい、もしもし」
「ばあばが、クモ膜下出血で倒れたって。
病院に搬送中、脳卒中も起こしたって。
今緊急手術に入ったみたい。
私も向かう。子どものことお願いできる?」
すぐに帰りましたが、気が気ではありません。
脳の血管が破裂したってことやんな…後遺症が残る?
いや、最悪の場合…。
いやな想像ばかりがよぎります。
その日の夜22時頃、カミさんは帰ってきました。
「三日…、三日で意識が戻ればいいけど。搬送されたとき、すでに難しい状態だったみたい」
三日たち、大きな変化は起こりませんでした。
お義母さんの意識も戻りませんでした。
一週間たち、一月たち、一年たった今でもお義母さんはそのままです。
お医者さんの話だと、左の脳の血管が破裂したお義母さんは、意識が戻っても右半身に深刻な後遺症が残るということでした。
それでも、意識が戻ってくれればと。
「ただいま」「いただきます」「ごちそうさまでした」「またあした」毎日の小さな挨拶ができること、当たり前じゃなかった。
お義母さんの声はもう聞けないかもしれない。
あの美味しいご飯はきっともう食べられない。
きっともう愚痴も聞いてもらえない。
きっともう肩をもんであげられない。
きっと…きっと…きっと、きっとが浮かんでは消えていく。
何の変哲もなく、当たり前にあった2月28日。
当たり前なんて、ないんですね。
どこにも。
今日はエイプリルフール。
この話が、嘘であればよかったのに。