■ 「承認」の良さ
【引用】承認はそれ自体が欲求として人を動機づけるばかりでなく、認められるとほかの欲求が満たされたり、有形無形のさまざまな報酬が得られたりする。つまり承認の恩恵は多岐にわたるわけである。それだけに「承認欲求」は強い力で人を動かす。「承認欲求こそ最強だ」としばしばいわれるゆえんである。【出典】株式会社新潮社『「承認欲求」の呪縛』2019年2月20日発行 P46 著:太田肇
その恩恵を感じる場面は多々ありますよね。
- やる気が出る(モチベーション)
- 自尊感情が育まれる
- (承認を得た)行動に満足感が得られる
- 成績が上がる
- 自信がもてる
- 継続していける
- 明るい気持ちになれる
やる気が出て、自尊感情が育まれるのだから、
「そんなことして何になるの?」なんて後ろ向きな自分より、
「よし、やってみようか!」という前向きな自分が現れてくれます。
そりゃ、成績も上がるだろうし、自信も持てる。
やっていることが認められるのだから、継続していける。
「できた♪」
が、さらに明るい気持ちにしてくれる。
「承認」にハマってしまうのは、悪くないことだと思うのです。
思うのだけど…
■ 「承認」の副作用
【引用】しかい、強い薬は副作用も大きい。承認の恩恵が多岐にわたるということは、その副作用もまた多岐にわたることを意味する。【出典】株式会社新潮社『「承認欲求」の呪縛』2019年2月20日発行 P46 著:太田肇
どうやら副作用があるみたい。
思い当たるフシがあります。
認められることを期待するようになり、いざその期待が裏切られたら・・・
まるでリバウンドでもするように燃え尽きてしまう。
認められるが故に、先ほどとは逆に自分が期待されていることが重荷に感じ・・・
期待に応えられない自分を許せず、行動を起こせなくなってしまう。
行き過ぎた「承認欲求」を病にたとえ、太田先生は段階で教えてくれます。
ちょっと見てみますか。
■ 「承認欲求」の病、4段階
● 病状第一段階「ストレートに自慢」
【引用】だれでも能力、実績、容姿、学歴、社会的地位など自分が誇りに思っているところを認められたいものだ。なかにはそれをストレートに自慢する人がいる。【出典】株式会社新潮社『「承認欲求」の呪縛』2019年2月20日発行 P48 著:太田肇
認められたい欲求を満たしたいのだから、認められうるものを提示しなければいけません。
「自慢」という形も多いにありえますよね。
そうかぁ、はじまりはここなのか。
● 病状第二段階「策を弄して承認を得る」
【引用】自分の失敗談を語ったり、欠点をさらけ出したりしながら、いつの間にか自慢話に引き込むのが上手な人がいる。
「うちの息子なんか小学校のころから駆けっこをさせたらいつもビリだし、大人になるまで彼女の一人もできなくて、ほんとうにダメな子でねえ。東大ってそんな子が多いらしいよ」(中略)認められるために策を弄するようになると、少し病的な気配が漂ってくる。
ストレートに表現したら顰蹙(ひんしゅく)を買うことをわかっているので、わざわざ迂回する戦略をとり、認められようとしている。それだけ他者から認められることへの執着が強いからである。【出典】株式会社新潮社『「承認欲求」の呪縛』2019年2月20日発行 P47,48 著:太田肇
かわいく「ほめてください♪」なんていう感じではなく、策を弄する・・・。
自分の承認欲求に気づかずにやっていると、確かに病的な感じがしてきます。
まさに・・・自分だよなぁ。
● 病状第三段階「一線を超える」
【引用】「正常」な範囲で承認欲求を満たせないとき、一線を越えてしまうことがある。
たとえば、SNSで注目されるためにアルバイトの店員が食品にいたずらをしたり、わざわざ危険な行為や破廉恥な行いをして動画サイトに投稿したりするのは、浅はかで動機が単純なものの理性の抑制が効かない点で、もはや病的だといわざるをえない。【出典】株式会社新潮社『「承認欲求」の呪縛』2019年2月20日発行 P48 著:太田肇
ここの部分はいつまでも人の話として、話題にしていたい。
でも、ふと間違えば、自分もそういうことをしかねない。
この間、息子のお風呂の記事を書きましたが、そこの写真が「児童ポルノ」に抵触するかもしれないと、有識者の方に教えていただきました。
三段階には、気をつけてないと踏み込んでしまうような私です。