■ 見えないものを信じている
生まれた娘も一歳半になりました。 あっという間ですね。
色々な言葉をしゃべられるようになったのですが、だっこしているときに天井の角を見つめながら、
娘「おいでぇ…おいでぇ!!」
手招きしているのです。
僕「…いるの??」 娘「おいで!おーいでっ!!」
ま、娘が呼ぶほどですから、いい人がいるんだろうなぁ、おじいちゃんかなぁぐらいに思っていました。
ときは変わりまして、あるホテルに泊まったときなんですけど。突然叫びだしたんです。えぇ、娘が。
娘「あぁぁぁああぁぁぁぁぁ!!」
視線の先にあるのは暗闇…バスルームです。
嫁「なんで泣いてるのかしら…」 僕「な、慣れないところだから眠れないんじゃない…」 娘「ふぎゃぁぁぁぁ!ぎゃーーーん!」
いるかもしれない、とは言えませんでした。って、まぁ何もなかったんですけどね。
■ 神様を信じている
わたくし、祖母に面倒をよく見てもらっていてですね、お天道様、神様の話はよくうかがいました。 それがきっかけか神様を信じているのです。
友「そんじゃ見してみろや!」
と子どものときに友だちに言われて、
友「できへんやろ!」 僕「………」
言い返せずベソをかいたのを覚えています。
「大人になって証明できるようになった?」
なりませぇ~ん。ただ、より信じられるようになりました。 神様は目に見えない。見たこともない。見せられない。 でも、見たこともないけど信じているものってのが、大人になって増えてきました。
喜び、愛情とかいった気持。思い出、経験といった過去のこと。未来のこと。 過去なんて、
「0秒前に世界が始まって、全ての記憶は植え付けられたものだ」
と言われても誰も「そうじゃない」と証明できない。 でも、確かにあったと信じています。
目で見たことのない愛情、過去が確かにあったと信じられるなら、神様も信じられるなぁと。 あ、幽霊も。
娘「おいで!」
うん。おいで。
【引用】目に見えるものだけを信じて生きるって、視野が狭いよねってことなの。 空気は目に見えないけれど、空気があるからこそ私たちは息ができるし、風が吹けば木が揺れるのを見たり、髪や身体に風が当たる感覚でわかるよね。 あなたが誰かを愛する気持ちや、誰かがあたなを大切に思うやさしさは見えないけれど、そんなことまで「見えないから信じない」って言ったら、人生がすごく味気ないものになっちゃう。 【出典】サンマーク出版『変な人の書いた世の中のしくみ』P14 著:斎藤一人
■ 視野の広げ方
高校のときですかね。倫理の先生から、意識と無意識の説明で「氷山の図」を見せられたことがあります。 氷山って、目に見えているところが全体の10分の1ぐらいなんでしょ?
目に見える「意識」は「氷山の一角」、見えない「無意識」がすごい多い。
目に見えるものだけ見ていては、視野って広がらないんでしょうね。
誰かが成功したら、見える結果以上の努力が後ろにかくれているのだろうし「運がよかったんだよ!」なんて謙遜ですよね。 それをそのまま「そうだ、あいつは運がよかったんだ」なんて思っている僕は、視野がせまいな、やっぱ。
いつも笑顔でいてくれるからって、その人が涙にくれていないと思ったら、それは視野がせまいな、高瀬は。
当たり前に奥さんが家で自分を待っていてくれていると思っているなら、本来キャバクラにでも行けば月何十万稼いでこれるのに、家で自分のためにいてくれているってことが見えてないよね、ほんと、わたしは…。 キャバ嬢、囲えるぐらい小遣い渡せてるかって。渡せてない。 視野がせまいよ。
見えないところを見ようとする。そうすればちょっとは僕も視野が広がるかな。 うん、視野を広げたいと思います。
神様を信じている、よくわからない男の文章に最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。 あなたによいことが雪崩のごとくおきますように。