■ 「空気を読めKY野郎」と罵られ
出版社に勤めていたときです。 カタカタカタカタカタカタ…パソコンをガン見して仕事に励んでいると、 社長にたずねられました。 「千石君、高原君(仮名)がどこに行ったか知ってる?」 「いえ、すみません、うかがってませんが…」 「お前!!!」 社長激怒です。唖然です。本当にビビリました。 社長の激怒というよりも、激怒されている意味の判らなさに。 「なんで高原がお前にうかがいを立てないといけないんだ! 何するにしてもお前に報告しなきゃならんのか!? 違うだろう! 俺は、見たかどうか聞いてるんだ。」 …少し面白くなってきました。 「はい!高原さんは今いらっしゃいませんっ!!」 「いないことぐらい見れば判るんだよ!バカにしてんのか!?」 「(はい)きっとどこかに行かれたんだと思いますっ!」 社長はそのスジの人のような強面。 その顔を真っ赤にして 「当たり前だ! 目の前に座ってて、どこに行くかも見てなかったのか!? そういうのをKYっていうんだよ。 もっと視野を広げて空気を読みなさい!!」 集中力と視野の広さって両立しないんですね。 そしてKYって言葉が死語になったことも悟りました。
■ 空気を読む、が行きすぎると「KY鬱」
空気を読むのは大切だと思います。 でもどんなに大切なことも、限度を超えるとねぇ。 集中力がありすぎると「視野を広げろ」となるし、 視野が広すぎると「注意力散漫だ」となる。 それと同じです。 空気を読まなさすぎると人を傷つけるかもしれませんが、 空気を読みすぎると自分を傷つけます。 今は空気を読むサバイバル時代。 空気読めない(KY)=浮いてしまう=村八分=いじめられる みたいな恐怖心がつきまとっている。 そして、コトナカレことなかれで、自分を抑えつける。 そして爆発、キレる…とまではいかなくとも鬱。 空気を読むことが「和を大切にする」というのは大間違い。 和を大切にするということは、違っていい、浮いていい、これを受け入れることです。
■ 空気を読むな!KYのすすめ
「空気読めよ!」と罵倒しちゃう社長が、会社では一番空気読めてないと部長とその仲間達に励まされましたが、 実は社長業としては、おそらくこれがいいんです。 「今日から○○していこうと思う!!」 (えぇぇ、まじやんのかよ…) (ぜってぇ成功しねぇじゃん…) (また仕事増えるぅ…) 「…と思ったけど、またの機会にするか。」 なんて空気読んじゃう社長、どうなんでしょう?
【引用】アメリカの心理学者であるバーデン博士の調査によると、 「他人の目を気にする人間ほど、他人の思い通りにあしらわれてしまう傾向がある」 ということが分かったそうです。 【出典】『心理学ステーション』著:ゆうきゆう
『空気を読んでことなかれ』ということは空気に操られているということですね。 自分がいいか悪いか、もっというと自分に価値があるかどうかは空気に寄り添えたかどうかです。 気分もポジションもやるべきアクションも全部周りありき。 空気に左右されっぱなし。 それ、あんまり面白そうじゃないです。 いやいや『空気のような人』とはえらい違いなんですよ。 場がどうなろうが、おだやかに見守っている人はそれが個性なんだから。 そして空気を読む人が悪いなんて思いませんが、空気を読むことを強要するなんて健全じゃないんです。 「みんなもそうなんだから、お前もそうなれよ」 屈折した民主主義。 周りの色を見て自分の色を変えるカメレオンばっかの世界なんて…うっ…。 「KYか!」 空気を読んで、浮いちゃっている人の面白さをツッコミ愛で浮き彫りにするならいい。 (っち、ほんっと空気読めよな) ノンノンノン。 KYは憎むべきものではなく、愛でるものです♪ それにほら、そろそろ空気を読むのも疲れてきたでしょ? 人のKYさを受け入れたとき、KYになってしまう怖さ、その呪縛から解放されます。 脱!空気の奴隷。 だいたいからして空気読まないKYこそ、周りに左右されない大物なんですから、ねっ社長? KYは憎むべきものではなく、(ご一緒に)愛でるものですから♪♪ ご唱和ありがとうございました。