価値あるアイデアほど混沌たる中より出でしこと多きなり ~ディンセント・R・ワーグナー~
■ 「だ・である」調のアイデアホイホイ
「です・ます」調で書くか、「だ・である」調で書くか迷うときがある。 人それぞれに基準があるのだろう。
作文のような文字数を稼ぎたいときは「です・ます」調。一人称は「私」ではなく「わたくし」。反対に短くまとめたいときは「だ・である」調で、自己紹介も「私だ。」の二文字、ないし三字でしめる。
ブログにおいては文字数など稼ぐ必要もないので、こんな基準で選んでいる人は いないだろうが、高瀬こと私はこうやって選んでいる。
何か道徳的な、意味ありげな、教養的な、ともすれば書き手が偉そぶった感じになりそうな文章の場合は「です・ます」調。謙虚さを前面に出し調和していく。逆に、内容スカスカ、意味がない、情報もない、ふざけた感じになりそうな文章の場合は「だ・である」調だ。
お気づきか。 そう、今回の文章は高瀬的には「だ・である」調なのだ。
このブログはアイデアホイホイ。 冒頭で引用した実在するかしないかわからない人物の、実在するかしないかわからない名言にのっとり、どうでもいい混沌たる文章の中にこそ、あなたの明日に役立つアイデアがあると信じ、筆…タイプをすすめていく。
■ 息子(娘)に出逢ってほしい「自分」
いろは(仮名@娘:5歳なりたて)の誕生日である。 そんな素敵Dayに彼女は39度ごえの熱を連日連夜(といっても二日だが)出している。
こんなときこそ側にいなければ、ということもあって1時間休みを取り、おっとどっこい、側にいるのは父よりも母だろうということで、高瀬は太一(仮名@息子:3歳)を保育園に迎えに行った。
話は変わるがこんな言葉がある。
人との出逢いを通して、自分に出逢う ~中村文昭さん(クロフネカンパニー) http://www.kurofunet.com/nakamura/~
例えば好きで好きでたまらない人に出逢う。ここでめぐり逢っているのは想い人だけのように感じるが実はそうではなく、もう一人、「こんなにも人を愛せる自分」にも出逢っているのだよ、という名言だ。
この名言を知れば、こんな尺度で物事を考えてしまう。
「息子(娘)が親(自分)との出逢いで、どんな自分に出逢ってほしいのか」
人それぞれ答えがあるので、あなたも考えてみてほしい。 将来、現在、過去でもいい、あなたの子があなたにめぐり逢うことで、どんな自分に出逢ってほしいのか、またはほしかったのか。
高瀬の答えはシンプルだ。 母・父との出逢いを通して、息子、娘にはこんなにも愛されている自分に出逢ってほしい。
そのために親としてできることは、本当に普段の生活のささいなことなんだろうが、この度、娘の誕生日ということもあって、直接伝えてみることにした。
息子、太一に。
いろはにはほら、ハードルが高すぎるだろう。5歳とはいえ娘に拒絶されたら父としては立ち直れなくなるかもしれない。
【引用】「愛している」なんて簡単に言うもんじゃないことなんてわかるの 【出典】『I miss you』歌:加藤ミリヤ 作詞:Miliyah
高瀬「なぁなぁ、太一」 太一「ん?」 高瀬「大好きだよ、太一のこと。」 太一「ふーん」 高瀬「……」 太一「…」
高瀬「太一」 太一「なに?」 高瀬「大好きだよ」 太一(3歳)「いいよ。大好きで。」 高瀬「あ、ありがとう」 太一(3歳児)「どういたしまして」
さて、いよいよ混沌としてきたようだ。 あなたがこの混沌とした文章の中からアイデアを発見できたのならぜひ連絡いただきたい。
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あなたによきことが358起こりますよう。 ではでは!