[caption id="attachment_2485" align="aligncenter" width="500"] またやっちゃった…
八つ当たりどころか、百当たりね…[/caption]
phot by:meenakshi madhavan
■ 家族の雰囲気をぶち壊す父
浪人してたのですが、そのときの自分は最低でした。 たまりにたまった受験のストレスを母親や家族にぶつけてた。
恥ずかしい。
でも、今も…多少はよくなっているような気がしますが、そんなに変わってないのですよね。
「お帰り!ご飯できてるよ!」 「あ、、ありがとう…食欲ない…」 「おとうさ~~ん、たかいたか~い!!」 「あぁ…うん…一回だけね…」
あたり散らすという感じではないにしても、雰囲気ぶち壊す…
恥ずかしい。
これも、ちょっとした心がけでよくなるような気がします。 で、本日はオススメのこんな儀式♪
と、その前に、お寺、神社の参道の話。
■ お寺、神社の参道が長いわけ
【引用】お寺や神社には、なぜ長い参道があるのか知っていますか? 山門(お寺の門)から本堂、鳥居から社殿までが参道で、山門や鳥居は俗世から聖域へと切り替わる「結界」です。 結界を過ぎたらきっぱりと人の気持ちも切り換わればいいのですが、実際はそういうものではありません。そこで、一定の距離を歩くことで徐々に気持ちを静め、穏やかな気持ちで神仏の前に立てるように、参拝者の気持ちを「俗」から「聖」へと切り換える役割を参道が果たしているのです。 【出典】河出書房新社『怒らない禅の作法』P112 著:枡野俊明
よく戸隠の奥社にいくのですが、山門をくぐった先にある参道は、とても大きな木に囲まれた道で、それが長いのでございます。
photo by:Koichiro Ohba
一歩一歩進んでいるうちに静かな気持ちになりまして、落ち着いてきます。
「神聖な気のおかげ」かもしれませんが、その参道を歩く時間が気持ちを切り換えてくれるのでしょうね。
枡野俊明さんがオススメされているのは、この距離と時間を使った「心の切り換え」アイデアを実生活に取り入れるということです。
つまり、通勤距離、通勤時間を使う。
会社の扉が山門であり、鳥居であり、そこから通う毎日の道が参道。駅の改札や、車の扉といった第二、第三の山門をくぐりつつ、そのつど気持ちを落ち着けていき、本来の自分になって、最後は家の扉をくぐる。
「ただいま!」
日々通勤している道を、参道だと思い、少しずつ進みながら心をリセットしていく。それだけでも、とっても落ち着いた心持ちで家族と出会えます。
そこにプラス、こんな儀式を加えてみてはいかがでしょうか?
■ ストレスであたる、その前にこの儀式
【引用】私は多くの友人たちと小さな儀式を共有している。私もみんなと同じように仕事場まで車で通っている。仕事が終わって帰宅するとき、家の近くまで来たら車を道ばたに寄せて止める。お気に入りのその場所で、一、二分じっとあたりをながめたり、目を閉じて深呼吸したりする。すると気分が落ち着いてなごやかになる。 【出典】サンマーク出版『小さいことにくよくよするな!』P74 著:リチャード・カールソン 訳:小沢瑞穂
ちょうど僕も通勤に車を使っているので、この儀式を取り入れています。 家の駐車場まで来てエンジンをとめたら、車内は自分だけの静かな個室。
うちの奥さんが更新したEvernoteを確認し、家族の一日をチェックして、携帯も切ります。
本当に1、2分。ゆっくり深呼吸し、自分の呼吸音に耳を傾けます。
落ち着いたら、
【引用】玄関先で一度、笑顔の練習してでも、「ただいま!」と元気に笑いながら家に入れば、自分も家族も上昇スパイラルに入ります。 【出典】サンマーク出版『何のために』P141 著:中村文昭
こんな感じ。 車で通っていなくても、家の近辺らへんに来たら、ちょこんと座る場所を確保する。 そしてそこでゆっくり落ち着いて深呼吸。
自分だけの時間。
ほんの1、2分静かに自分と過ごすだけで、驚くほど落ち着きます。 よかったらやってみてください。ぜひ♪