[caption id="attachment_1917" align="aligncenter" width="500"] ハードワークを、ハートワークに♪[/caption]
「仕事…ツラい」 「なんで俺がPTA会長やねん…」
ツラいだけの仕事、ツラいだけの役割…そう思えるものばっかりです、なんて言い切ってすみません。
あの、僕も本当に仕事に行くのがいやなんですよね。
でも、いつもと同じ仕事なのに「行ってよかったぁ」と思えた瞬間がありました。
いきなりですけど道元さんのお話です。
■ 道元さん、典座
禅寺で「典座」と呼ばれる役割があるそうです。 何だと思います。
答えは「料理担当者」。
道元さんは「掃除」とともに「料理」も大切にされたそうで、その心得を説いたのが有名な『典座教訓』です。
禅僧たちにとって食事は修行を完成させるために大切なもので、その料理を作るとなると、典座には大変な責任がのしかかってきたよう。
名誉な役割であっても、 「なんで俺が典座か…」 と僕なら思ってしまいます。
そこで道元さんは一喝。
【引用】道元禅師は、「道を求める心がなければ、典座という役割はただつらいだけだ」と書いています。 【出典】河出書房新社『怒らない禅の作法』P103 著:枡野俊明
どんな役割もツラいだけになってしまうのは<道を求める心>がないからのようです。
■ ただツラいだけの仕事も、役割も…
ただツラい仕事、ただツラい役割も、もしかしたら「道を求める心」を持てば楽しくなるのかもしれません。
「『道を求める心』を持つってどういうこと?」
どういうことなんでしょう。
ボーダランズ2っていうRPGをやってるんですけど、ただレベルを上げようとしても面白くないんですよね。
「このスキルと、あのスキルを組み合わせれば…」
とか、極めんとすれば楽しさ100倍です。
仕事も極めようとすれば楽しくなってくるのかも。
極めるまでいかなくても、「工夫して試みる」っていうのをやれば、やな仕事もゲーム的になってきます。
ただこなす仕事は「終わった…」ですけど、そこに工夫や試みがあれば、「うまくいった!」「なんか失敗した」というような結果がついてきます。
そうすれば「繰り返しの仕事」というツラくツマラナイものも、「積み重ねの仕事」になるかもしれません。
仕事→終わり→仕事→終わり…という繰り返しが、 工夫→失敗→改善工夫→成功♪→さらに改善…という積み重ねのスパイラルに♪なんてね。
僕が一度、今日仕事楽しかったなぁって思えた日は、自分の工夫があった日なんです。
道を求める心、それがあればツラい繰り返しの仕事が、楽しい自分を成長させる積み重ねの仕事になる。
毎日そう思えたらいいんですけど、これがなかなか…。 明日もツラい仕事に行くか… うん、ちょっと工夫できるところ考えよっと。
長い文章、最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。 あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。