【引用】 意欲というのは何も特別なものではなく、ごく当たり前に人に備わっているものです。なのにどうして大人になると、この意欲を忘れてしまうのでしょう?それは…
【出典】PHP研究所『感動する脳』 著:茂木健一郎
■ 『感動する脳』
本を読みまくっています。 でも、このところ「こんなに読んでどうするの?」 みたいな声が頭の中で響いていまして、 …意欲が無くなっていたんです。 虚しくなってきまして。 知識に出会う感動も少なくて「あぁ…またか」と。 そんなときに手に取ったのが茂木健一郎さんの『感動する脳』でした。 『ひらめき脳』以来ですね。茂木さん、お久しぶりです。
■ 感動できない理由
なぜ感動できないのか。 それは僕の呟きに集約されています。 「あぁ、またか…」 乱読のおかげで、幸か不幸か知識慣れしてしまっていたんですね。 だから「同じこといってる…」と。 人は予想外のことに驚いたり、度胆をぬかれたり、動揺したり…つまり感動するもんです。 想定内だと感動がない。 ほら、ミステリーとかで「こいつ…犯人っぽいなぁ」って、そのまま犯人だと興醒めでしょ? 〈不確実性の要素が減っている〉 茂木健一郎さんの言葉を借りればそういうことです。 不確実ではないから、予想の範囲内だから、びっくりしない。 感動を得られないなら、次の意欲につながらないんですよ。
■ 不確実性をせばめる原因
知識・体験が積み重なると不確実性が減ります。 つまり予想内のことが増える。 それが大人になる、ということかもしれません。 子供は何もかも新鮮だから、初めてだから意欲に満ち満ちています。 しかし想定内のことが増えるのは悪いことではありません。 「火にかけたフライパンを触るとどうなるか?」 予想できなければ大火傷です。 でも僕みたいな状態はいかがなもんでしょうか? 感動しない原因、不確実性をせばめている原因は、 ただの知識の蓄積によるものでしょうか? 絶対違う。 僕より本を読んでいる人なんて、五万といるでしょ? 「あぁ、次は何読もうかな♪」 わくわくしている人は星の数ほどいるはずです。 知識の量が原因じゃない。 研究者や学者の人などは、 どれほど知識を蓄えようが「知らないことが多すぎる!真理がみつからない!」 すさまじいまでの知識量にもかかわらず、頭を抱え苦悩していても、意欲バリバリのはずです。 なんで僕が感動できないのか? それは慢りです。 傲慢さですよ。
■ 意欲を忘れてしまう理由
経験を積むことは素晴らしいことです。 でも、その経験を支えとして傲慢になるのはいただけません。 「よく年配の方で『教えてやろうか』って顔の人たちがいるじゃないですか。 上から見てる…といいますか。あの人たちは行くとこまでいっちゃってるんですよね。 成長が止まってる…もう限界が来てしまっているんですよ。」 そのようなことを言ったのはイチローさんです。 傲慢さは、意欲をそぎ、感動を奪い、限界を設け、成長を止めます。 本を読む気力を失っていた僕のようにです。 【引用】 どうして大人になると、この意欲を忘れてしまうのでしょう?それはおそらく、新しいものなど何もないと脳が勝手に思い込んでいるからです。
【出典】PHP研究所『感動する脳』 著:茂木健一郎
新しいものが何も見えなかったのは、僕の目が閉じていたから。 傲慢という目隠しをしていたからです。 どんなものにも新しさはあるはず。 どんな本からも自分は学べる、学ばなければいけない… そう、あらためて思い直していました。 茂木健一郎さん、ありがとうございます。 ここまで読んでくれたあなたも、ありがとうございます。