『世界でひとつだけの幸せ』という本を読んでいる。 我が家にはいわゆる「幸せ系」の本が多い。私の研究テーマがそれだから仕方がないのだがディテ(嫁)は、 「どんだけ幸せになりたいんよ」 私とじゃ幸せじゃないの!?と言わんばかりの勢いでツッコんでくる。また友だちにしても、 「これを読んで…幸せに…なれましたか?」 と渡辺陽一バリに語りたずねかけてくる。
■ 今朝の幸せ
そんな本にこんな一文があった。
【引用】快便を至福の解放と感じる人もいる。 【出典】アスペクト『世界でひとつだけの幸せ』P154 著:マーティン・セリグマン 訳:小林裕子
まさに私のことである。 毎朝、朝一番の解放を享受しようと日々フン闘しているが、今朝は勝手が違った。 さてトイレにいこうか…というときになって時間がないのだ。 風呂を昨日の夜から今朝にまわしてしまったのがいけない。 アフロ「いけるかな?」 ディテ「いや、それはわからないけど」 私にとって大切なことなのに、ディテはどうでもよさげ過ぎる。 出る時間まで1分を切った。 アフロ「よし、いく!」 バタン アフロ「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 ドラゴンボールで悟空が一気に「気」を高めるイメージを持っていただければ外れていないだろう。 アフロ「ふんっ!」 ここで一気に解放だ。これは掛け声であって、「フン(うんこ)!」ではない。 ジャーーーーーー 電車は間に合ったが、多少、残っている感じがいなめない。海老蔵さんの父ではないが「まだまだ修行が足りん」と自分を叱咤した。 余談ではあるが、このブログを音読してくださっている方がいるらしい。 ディテ母、つまり私の義母である。 この記事も音読されるのだろうか…今後の私の評価に目が離せない。