[caption id="attachment_1816" align="aligncenter" width="500"] 「あれ?君、いつもは綺麗なんだけど、
このセロファンでのぞくとホラーだ」…ドカッ!「ふごっ!」
ドスッ!ドカッ!ばきっ!「一発じゃないのね?」ドカ!ボコ!…[/caption]
■ アイデアフレーズ
【引用】期待理論や自己達成予言、「ピグマリオン効果(訳注:教師の期待が生徒の学力を伸ばすという教育心理学理論)」を調べていくうちに、ものの見方が人の内面の深いところで作用していることに気づいたのである。要するに、何を見るかというよりも、どのようなレンズを通して見ているかが問題であり、そのレンズこそが一人ひとりの世界観をつくっているのである。 【出典】キングベアー出版『完訳 7つの習慣~人格主義の回復』 P7 著:スティーブン・R・ゴヴィー
■ 何を見るか、ではなく、どのように見るか
中学の頃の話です。
文化祭に向け、クラス対抗で行われる大縄の練習をしているときです。
「へへへへ、おめぇ近寄ってくんなよ!」
仲間が真剣に取り組んでいる中、一人ふざけて和を乱している子がいる。 全体の集中力も落ちて、いつも30がアベレージだったものが、10回も超えていかない。
「ふざけんな!」
ま、先生も怒りますわな。 そして、その子は列から出され、離れたところで座らされます。
それでもヘラヘラしている。 反省の色は見えません。
でも、この子の態度を見ていて判断すれば、反省してない、もう一喝…となりそうなんですが、ほんまに反省してないんでしょうか。
もし、自分がこのとき生徒の立場だったら、で考えてみるとどうでしょう。 さらに、そこから教師の立場になってみるとどうですか?
「何を見るか、より、どのように見るかが世界観をつくっている」
このふざけた子が、叱られヘラヘラしているのは、人前で叱られたことで傷ついた自分の自尊心を、それでもなんとかして守ろうとしているのかもしれない。
本当は
「やりすぎた…」
と思っているけど、それを出せないでいるだけかもしれない。
そう考えれば、自分の見ている世界が一気に変わるような気がします。 少なくとも、「もう一喝」ではなく、少し離れたところに連れて行って、ゆっくり対話をしたくなります。
「お前、やりすぎたなって思ってるんやろ?」
【引用】状況を変えたければ、まず自分たちが変わらなくてはならないのだと、私たち夫婦は悟った。そして自分が本当に変わるには、ものの見方を変えなくてはならない。 【出典】キングベアー出版『完訳 7つの習慣~人格主義の回復』 P7 著:スティーブン・R・ゴヴィー
ものの見方を変える…日々修行ですね。
長い文章におつきあいいただき、ありがとうございました。 あなたによきことが雪崩のごとくおきますように。
■ 高瀬賢一の一言
[caption width="111" align="alignright"] 高瀬賢一[/caption]高瀬「お風呂入ろ」 愛娘「やだっ」 高瀬「お風呂で、タンタタンして遊ぼ?」 愛娘「やだっ」 高瀬「…ちゅーしていい?」 愛娘「やだっっっっ!!!!」
やだやだ期?それともテレかな?
嫁様「いや、最後は本気でイヤがってるんだと思うよ」 高瀬「…」