■ あなたが祈るとき
パンパン、 手をたたいてお祈りするとき、 「本が書けますように」 「国家試験に受かりますように」 「一家安泰お願いします」 「一攫千金お願いします」 「嫁が元気でありつづけますように」 「嫁の口が少し減りますように」 祈りるとき目をつぶりますよね? なぜか?そもそも理由なんてあんのか? あるみたいです。 出典は新渡戸稲造さんの『武士道』から。 っとその前に少し神社のお話。
■ 神社の神具
小さい頃、おばあちゃんのお手伝いといったら、神棚に奉ってある草みたいなのを取って水換えをすることでした。 踏み台をのぼり、手をあげ花瓶をとる。 真ん中には観音開きになったものがあって、何が入っているのかは判らない。見えない。 「なぁおばあちゃん」 「なんやの」 「あの真ん中んとこ何入ってんの?」 「そらぁあんた…」 神様やでぇと言う。 「見して見して見して見して見して見して見して見して」 しゃーないなぁ、と見せてくれたそこには… 神棚がない方は神社におこしください。 その本殿には一つの神具がかかげられています。 それは一枚の鏡。 その鏡をのぞいたとき、そこには神様が映っているそうです。 おばあちゃんも言ってたしね。
■ 日本のやさしい神様たち
神様はどんな姿なんだ! と覗き見ても、やっぱり自分のさえない顔しか映っていない。 「神様なんて映ってないやん」 「あんたにはまだ早いわ」 自然崇拝というのが日本人の体には染み付いているような気がします。 山の神様が怒ってはるわ… 雷さま元気やねぇ… お天道様(おてんとうさま)いつもありがとうございます… 日本の神は八百万の神。 八百万…つまり数えられないほどいはるんです。 絶対神とは違って、その神様たちはなんとも人間くさい。 天照大神が、すねて岩の中に引きこもる話は有名ですね。 神様にして完璧じゃないのだから人間だって失敗していいじゃんか。 日本の神様はそんなことを教えてくれるやさしい神様なんでしょう。 話を戻します。 いたるところに神様がいるんです。 そして、あなたの神様は鏡に映っている。 そう、神様はあなたの中にいるんですね。 むしろ、あなた自身が神様なんです。
【引用】鏡は人間の心の表象である。心が完全に落ち着き、清明であるとき、そこには「神」の姿を見ることができる。それゆえ参拝のために社殿の前に立つとき、輝く鏡の面におのれ自身の姿を見るのである。 【出典】三笠書房『武士道』 著:新渡戸稲造 訳:奈良本辰也
■ なぜ祈るときに目を閉じるのか
もう答えは出ましたか? ギリシャの方は礼拝のとき、目を天に向けます。 天の神様を凝視することで祈りが成立するそうな。 日本人も同じです。 目をつぶることで凝視しているのは己の心。 私たちの神様は私たちの心にあり、私たち自身なんですね。 あなたも神様、隣のあなたも神様。 大切にしないとバチがあたっちゃいます。 日の本…太陽を本とした日本の旧国名は、和を大切にするという「大和」。 「自分を大切に周りも大切にできる」そう神様に教えられてきた民が、日本人なんでしょう。 ところで、神様がこんなに近くで守ってくれているのなら、 勝利の女神に微笑んでもらうのも、私たちにとっては案外簡単かもしれません。 鏡に向かって、ニッと笑えばいいのだから。 さて、家の鏡を磨いて笑顔の練習でもしようかしら。
■ 『あなたが祈るとき目を閉じる理由』まとめ
【出典】三笠書房『武士道』 著:新渡戸稲造 訳:奈良本辰也
あなたの神様が微笑んでくれることを心からお祈りしています。 ありがとうございました。