力ってのにも色々ありますよね。 腕っぷし、地位やら権力、美しさも力かもしれません。 まま、そもそも教育というものは、自分に対してしかできないものだと思っています。 でも仮に何か教えておくべきことがあって、上司が…先生が…親が、部下に…生徒に…子どもに教育をするとします。 もし、そんなときに上で挙げたような「外的な力」を借りて教えてしまうと、3つのものを弱めてしまうそうです。
■ アイデアフレーズ
【引用】「力を借りることは、弱さをつくり出す」。まず、力を借りた人が弱くなる。なぜなら、物事を成し遂げるために、外的な力にいっそう依存するようになるからだ。そしてまた、強要された人も弱くなる。自主的な判断力や自制の力が育たないからである。最後にはお互いの関係も弱くなってしまう。協力の代わりに恐怖が生まれ、一方はますます横暴に、そして一方はますます防衛的になっていくからだ。 【出典】キング・ベアー出版『7つの習慣』P40 著:スティーブン・R・コヴィー 訳:ジェームス・J・スキナー 川西茂
弱くなる3つ。 1.外的な力を借りて教えた自分 2.教えられた相手 3.自分と相手の関係 二つ目は判る気がします。 どんどんどんどん、縮こまってしまう。相手の力が強大なのだから、太刀打ちできない。 子どもは、身体の大きな大人の体罰にビクビクします。それが恐くて恐くて、どんどん弱くなっていく。 体罰については「体罰のススメ」という記事を書きましたのでそこに譲るとして。 一つ目は、なるほどぉという感じです。 肩書きを使い、上司が部下を威圧すれば、その上司は肩書きなくして、その部下に何かを伝えることがどんどんできなくなっていくでしょう。 いうことをきかない子に、手をあげる・威圧する、そんな方法に慣れてしまえば、それしか使えなくなってしまいます。 それしか使えないということは、それを失ったときはどうなるか? 外のものに頼りっきり…それは自給自足できないことに似ていますね。外からの援助がなくなれば、いっかんの終わりです。 三つ目も、そうだよな、という感じ。 僕がそうやって接してしまった子どもたちと信頼関係を築けたかっていうと、全くの0だと思います。 それはとっても弱い関係。 内的な力を養いたいな…と思います。 筋トレをするにしても、その結果得られる肉体美・筋力よりも、鍛錬を続ける力だとか、忍耐力だとか、自己マネージメント力とかの方が大事なんだろうな。 ありがとうございました。