■ 誰だって特別に思われたい
「特別に思われたい」
高瀬などは本当にこれの固まりでございます。
「誰かにとっての特別な存在になりたい」 「自分には価値があると思いたい」
教育の現場では「自己有用感」なんて言ったりしますが、この「自己有用感」を持ちたいという思いは、誰にでもあるものなのでしょうね。
この思いから、人から認めてもらいたいのだと思うのだし、特別に扱ってほしいと思う。
■ 自己有用感を持ちたい思いが生む陰と陽
人に認められたいと勉強をがんばったり、仕事を一生懸命やったり、部活、スポーツにはげんだり。
そういうものの原動力になっているのならまだいいのですが、
「どんだけやってもダメだ」 「自分が努力しても人に認められるわけない」
なんて思い出したら大変。 力の向きが180度変わります。 大きく変わる、大変。
「うっせぇ!携帯もってきて何がワリぃんだよ!!」
校則をやぶって見せることで、自分の力を示します。皆がやぶれないルールを俺はやぶれるんだぜ、俺は特別なんだぜ、と。
極端に考えると面白いですよ。
「目立ちたいなぁ。自分のことでニュースにならないかなぁ。うんそうだ、ノーベル賞をとって新聞の一面を飾ろう!…いや無理だな。あっ!そうだ、大犯罪で一面を飾ればいいんだ!それならできそう♪」
根本は同じなんですよね。
そう、人に認められたい、特別に扱われたい、自分に注目してほしい!…そういう思い。
■ 誰かに認められるためにやっていたら
「誰かに認められるため」
どっかどっかで、こういう目的を持って行動しているところがあります。
あなたはどうですか? 僕などはほとんどがそうです。
相手から認められるためにやっている、それは危うい行動かもしません。
人が認めてくれるかどうかは、人次第ですから。
認めれることもあるでしょうが、認められないことだってあります。 注目されないことがほとんどです。
簡単に注目されるためには、相手がイヤがることをすればいい。
「彼を嫉妬させたくて、つい…」
これ見よがしに校則をやぶる人と僕は対して変わりません。
人に認められたいからやる…その領域から、自分が誰かの役に立つと思っているからやってるんだ!そんな領域にいければ、ちょっとは変わると思うのですが。
さ、校則をやぶっている誰かのことより、自分のことですって。
あなたは、どうなんですか?