[caption id="attachment_2312" align="aligncenter" width="500"] 「おい!この悪玉コレステロール!!」[/caption]
■ 三つ子のなんとか百まで?性格は変えられない?
「私ほんっとに短気で、これって変えられるんですかね?母親ゆずりでしょうがないかっ?あはははは」
「変えられるんちゃう」
なんてテキトウに答えてしまったんですけど、いやこれがどうして、本当に変えられるみたいですね。
「三つ子のタマタマなんとかっていうし、手遅れじゃねぇ?」
タマタマなんとかって、その「なんとか」の部分が気になるし、きっと正しくは「魂百まで」だし、というか君にはタマタマがないだろう。
これまたテキトウに、
「なんとかなるんちゃう」
なんて答えてしまったんですけど、本当になんとかなるみたい。
■ 短気で怒りっぽい性格は変えられる
【引用】「怒りっぽい性格の人」など存在しない。 「怒りという感情をしょっちゅう使う人」なのだ。 生まれ変わる必要はない。 感情の使い方を変えればいいだけなのだ。 【出典】ダイヤモンド社『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』著:小倉広
表面的に出ている性格は、どうも簡単に変えられそうです。 出す感情を選択すればいいだけだから。
「そ、そんなこと言ったってイラっとしちゃうもん!」
ですよねぇ。 でも、何かしらの刺激(相手の暴言とか)にイラっと感じて、それを自分の反応として表面に出すまでに「間」というものが人には存在しているらしく、その間の中に「認知」という主観があるそうです。
【引用】人は「認知」や「意味づけ」を変えることで、いかようにでも反応すなわち、思考、行動、感情を変えることができるのです。 【出典】ダイヤモンド社『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』著:小倉広
「????は?」
うん、僕も「認知」って言葉難しくて分からなくなってきた。
■ 短気な性格、ではなく、自分の意味付けから怒りという感情を選んでいる
少し前、隣の学校の校長先生が思い出話をしてくれました。
【校長先生の話】 僕が教頭時代、中学に勤めていた時ね、その学校にもやんちゃな生徒がいたんです。 「おい教頭!…シネ!」 いや、なんかお前に恨まれることやったか?と。 二日間で、今まで生きて聞いた「シネ」の4倍聞きました。怒り心頭。物は蹴り飛ばしてきますしね。 でもね、頭の中で変換することにしたんです。 「おい教頭!…シネ!(教頭先生、おはよう!)」 「おいハゲ教頭!(愛らしい教頭先生)」 「ウザい!関わってくんな!(僕の相手してくんない?)」 精神衛生上、こうやって接するとイチイチ怒って神経すり減らさずにすむんです。相手のためというより自分のためです。おだやかに接することもできますしね。 その子の言葉は中々変わりませんが、トゲのある表情、雰囲気が徐々にやわらいでいきました。言葉が変わったときは嬉しかった。 「おい教頭!…おはよっ!」 「おいおい、相も変わらず呼び捨てはないだろう。」 「うっせ!挨拶してやってんだから感謝しろよっ!」 「はいはい」
相手に暴言を浴びせられれば、怒って当たり前。僕もそう思います。
でも、人の可能性として、その暴言の意味付けを変えて、感情を選ぶことができるみたい。この校長先生の教頭時代の話みたいに。
【引用】人は「認知」や「意味付け」を変えることで、いかようにでも反応すなわち、思考、行動、感情を変えることができるのです。 【出典】ダイヤモンド社『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』著:小倉広
刺激と反応の間、自分の中にある可能性を信じてみませんか。 おばあちゃんにも教えられたことがあります。
「さわぎなくなったら、心の中で10秒かぞえてみな。ギャンギャン言わなくてすむよ、賢一。」
怒りだけじゃない。その他の表面的な性格を変えるには、感情の選び方を変えればいい。
やってみたいと思います。
あなたによきことが雪崩のごとくおきますように。