[caption id="attachment_1592" align="aligncenter" width="500"] ぜ、全部食べたーい♪
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【概要】やらなければいけないことを「やる力」、やってはいけないことを「やらない力」、本当の大志を忘れない「望む力」…この3つの意志力に、どうやら罪悪感・自責の念はいらないようだ。必要なのは思いやりである。
■ 意志力とは3つの力
【引用】意志力には3つの力があります。 すなわち、大きな視野で物事を見て、長期的な目標を見失わずに、たとえ困難であっても、こうしておいてよかった、とあとから思えるようなことをするための力です。 【出典】大和書房『最高の自分を引き出す法』P20 著:ケリー・マグゴニガル 訳:神崎朗子
ケリーさんが紹介してくださった3つの意志力は、「やる力」「やらない力」「望む力」です。 「やるか?やらないか?望むか?」みたいですね。ええ、違います。 「やるチカラ」「やらないチカラ」「望むチカラ」です。
トップページの概要から読まれているなら、もう3回は繰り返しているので、覚えられそうですね。
<大きな視野で物事を見て、長期的な目標を>もつのに必要なのが「望む力」。
そしてその長期的な<目標を見失わず>、目先のやりたいことに目を奪われないために必要なのが「やらない力」です。 僕などは、すぐ「衝動買い」「ゲーム」「女性」に心奪われてしまいます。
最後は<こうしておいてよかった、とあとから思えるようなことをするための力>ですね。つまり、「やる力」。
意志力は、この3つの力で成り立っているようです。
■ 「わかっちゃいるけどやめられない」のは罪悪感が足りない?
さて話を戻しますと、今回は『「わかっちゃいるけどやめられない」のは罪悪感のせい?』という題名でしたね。
でもどうでしょう? 「やめなければいけないことをやめるには罪悪感がいる」 もしくは、「意志力(やらない力)には自責の念も必要」というのが正直な感覚ではないですか?
だってね、たとえば「幸せな家庭を築くぞ!」という大志を抱くも、「浮気をしてしまった!バレた!もうしません!もうしません!もうしません!」の「もうしません!」の部分、つまり「やらない力」を支えるのは「罪悪感」と思いません?
もっといえば、「なんであんなことをしてしまったんだろうか」と自分を責める心が、「もうやるまい」と「やらない力」、意志力を強化しそうに感じるのです。
どんなことだってそう。 「本を書かないといけないのに、またゲームをやってしまった…もうやるまい」 「試験勉強をするべきだとわかっているのに、マンガを読みあさってしまった…もうやるまい」 「娘の健康のため禁煙すべきなのに…また…もう吸うまい」
酒を「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、「自責の念が足りんからや!」となるのが正常な感覚に思ってしまう。 そう、『「わかっちゃいるけどやめられない」のは罪悪感が足りない』。
でもね、でも、違うらしい。
■ 「わかっちゃいるけどやめられない」のは罪悪感のせい?
【引用】いまご覧いただいている画像は、失敗をしたときに罪悪感を抱いたり自分を恥じたりした場合、脳ではどんな反応が起こるかを示したものです。 意志力をつかさどる前頭前皮質が、ストレスや不安や欲求や衝動を生み出す脳の領域を統制することができなくなったことを示しています。 失敗を恥じたり、罪悪感を抱いたりすると、意志力が奪われてしまうのです。 そうすると、同じ失敗を繰り返したり、またしても欲求に負けて落ち込んだりするはめになります。 【出典】大和書房『最高の自分を引き出す法』P89 著:ケリー・マグゴニガル 訳:神崎朗子
失敗を気にしすぎて、 「俺はダメな人間だ」 自分を責めて責めて責めまくっていると、どうやら意志の力をつかさどる脳の前頭前皮質が、力を失うようです。
よくよく考えてみると、脳の断面図を見せられるまでもなく、経験があるのです。
自分を責め、罪悪感がオーバーヒートした状態。 「どうせ俺なんか…」
この「どうせ私なんか…」が出てくるとダメですね。僕の場合、「結局俺はダメな人間なんや。やるよな。やってまうよ。」なんてなってしまう。
ひらきなおり…じゃない、「投げやり」。
自分を「ダメな人間だ」と罪悪感の奴が思わせ、「ここから向上していけばいいじゃん!」という気持を奪っていく。 大切な自分を投げさせてしまうんです。 大事な自分を捨てさせてしまうんです。
それが「罪悪感」。
だから「わかっちゃいるけどやめられない」。 「わかっちゃいるけどやめられない」のは罪悪感のせいです。
【引用】よく勉強してください。自分のことを見抜いてください。 自分で自分を虐待していないですか? 【出典】KKロングセラーズ『地球が天国になる話』P90 著:斎藤一人
じゃあ、どうすればいいんでしょうね? 「わかっちゃいるけどやめられない」ことをやめるには。
■ 「わかっちゃいるけどやめられない」ことをやめる方法
【引用】驚いたことに、罪悪感を抱くよりも自分を許すほうが責任感が増すのです。研究者たちの発表によれば、失敗したことについて、自分に思いやりをもってふり返った場合のほうが、自分を厳しく批判した場合よりも、失敗したのは自分のせいだったのだ、と認めやすくなります。また、そのほうが他人の意見やアドバイスに対しても進んで耳を貸せるようになり、失敗の経験から学ぶことも多くなるのです。 【出典】大和書房『スタンフォードの自分を変える教室』P222-223 著:ケリー・マグゴニガル 訳:神崎朗子
罪悪感を持つこと、自分を責めること、それが「わかっちゃいるけどやめられない」を加速させているなら、逆をやればいいのですよね。
罪悪感を持たない。自分を責めない。 そして、自分に思いやりをもつ、ということです。
でも注意が必要なのは、「反省しない」「自分を甘やかす」というわけではありません。ダメなものはダメと認識しないとね。
「わかっちゃいないとやめられない」
むやみやたらに自分を責めることはない、という話です。
で、具体的に「自分に思いやりをもって接するには」はどうすればいいのか。
3ステップで、 「自分の気持を受け入れ」 「人間だもの」と考え、 「大切な人に話しかけるように、自分に話しかける」です。
【引用】自分に「思いやり」を向けるには? 1 気を紛らわしたりせず、ストレスや苦しみに注意を払う 2 「こんなふうに悩んでいるのは自分ひとりではない」と思い出す 3 「大切な人に対してなら、どんな言葉をかけるか」と考える 【出典】大和書房『最高の自分を引き出す法』P93 著:ケリー・マグゴニガル 訳:神崎朗子
■ 「わかっちゃいるけどやめられない」ことをやめる1ステップ
罪悪感が意志力にはいらないからといって、「罪悪感をもってはいけないんだ」ということに囚われるとドツボです。
思いやりをもって自分を受け入れるというのは、自分のそのままを受け入れるということ。
「罪悪感を抱いてるんやね。自分を責めたい気持があるやな。」
一つ目のステップは、自分の心の中に注意を向け、そのまま観察する。 仏教でいう「念じる」ですね。
【引用】どのような感情でありましても、冷静かつ客観的に見つめられると、おとなしくなり、消滅するという性質を持っております。(中略) 感情を切り離し徹底的に観察するテクニックこそ、「念じる」という方法。 【出典】三笠書房『読むうちに悩みが空っぽになる「人生相談」』P17 著:小池龍之介
■ 「わかっちゃいるけどやめられない」ことをやめる2ステップ
そして2ステップ目は、「自分一人じゃない」と思い出すこと。
相田みつをさんの「人間だもの」という言葉を思い出し、「自分だけだ…」なんて感覚を取り除けば、「自分はダメな人間」と思わなくてすみます。
誰だって間違いを犯し、誰だって失敗もする。 だからってダメなわけではないし、人間失格ではない。ということですね。
■ 「わかっちゃいるけどやめられない」ことをやめる3ステップ
そしてラストは、大切な友だちのように自分に語りかけるです。
いつも思います。 友だちにだったらこんなにも思いやりをもって接せられるのに、どうしてこうなっちゃうんだ…嫁に対しては。なんちゃってね。
自分に対しても同じです。 なぜか友だちのようには語れない。罵倒をし、虐待をしてしまう。
それをやめて、友だちのように語りかける。
「そういうときもあるやんな。大丈夫、お前やったらこっからやれるよ。ここからまた変われる。やめられるって!応援してるからな♪」
■ 「わかっちゃいるけどやめられない」のは罪悪感のせい?ならどうすれば…まとめ
長い文章になりました。
罪悪感は意志力を低下させる。 意志の力を強化し、やめるべきことをやめるには「自分への思いやり」が必要。 自分の思いやりをもつには、自分の心を見つめ受け入れ、悩んでいるのは自分だけではないと思い出し、友だちのように語りかける。
ケリーさんには大切なことを学ばせてもらいました。ありがとうございます。 著作を2つ取り上げさせていただきましたが、2つとも素敵な本ですよ♪
ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。 あなたによきことが雪崩のごとくおきますように。