■ 何のために働くのか?
比田井和孝さんのお話。人は何のために働くのでしょう。
「お金のため…」
お金ってすごく大切です。僕も大好きなんです。 でも、お金って何のため?
「生活していくため?」
では最低限の衣食住だけでいいんですか?
「ブランドものもほしいし、豪遊もしたい♪バケーション楽しみたい♪♪」
何でブランドほしいの?豪遊したいの?バケーション楽しみたいの?? そんな風に続けていくと、結局こうなりませんか。
「幸せになるため」
そう、人は幸せになるために働いているのかもしれません。 一つの切り口としてはそういう結論になる。 他の切り口だと違うものが見えますが、とりあえず今回は、「人は幸せになるために働いている」という方向でいきます。
■ どうなったら幸せなの?
どうなったら幸せなのか、っていうとこれまた人それぞれで、「これだ!」という形がありません。幸せは、その人が「幸せ…」と感じるところに存在しています。 で、何が幸せ?…と考えると、さっきの答えが戻ってきます。
ブランドものもほしいし、豪遊もしたい♪金、地位、名誉、成功があれば幸せ!!
ここである状況を設定すると、ちょっとした本質が見えてきます。 あなたはほしいブランドを手に入れました。金もあるったけ持っています。どんな仕事をもこなし、ピンチを切り抜けていく力もあります。知識もある、知恵もある。地位も得ました。名誉だってあります。成功もしました。 そんなあなたは、今無人島にたった一人です。 豪邸にいて、食べるものもあります、高級車もある…けどたった一人…独りです。
幸せですかね? 幸せを感じられるんでしょうか?
きっと感じられないと思うのです。 人は、人の間にいないと、幸せを感じられないのかもしれない。
金も地位も名誉も成功も、知識・知恵を身につけるのも、ブランドもので身を飾るのも、おしゃれするのも、理想の身体でいることも、人がいてこそではないですか?
とすると、どうやら人は「人に認められてこそ幸せを感じられる」のかもしれません。
「素敵だな」とほめられる。 「あなたじゃないと」と必要とされる。 「あなたがいてよかった」と認められる。
人の間に生き、人に認められることで、人は幸せになれる。 そんな気がします。
■ 人の2倍働くといいことがある?
人は何のために働くのか? →人は幸せになるために働いている。 どうなったら幸せなのか? →人に認められ、必要とされると人は幸せになれる。若干横暴なまとめですが、とすると人は「人に認められ、必要とされるために働く」といえないでしょうか?
働くの語源は「はた(端)」を「らく(楽)」にする、から来ているそうです。
働く、もうその言葉自体で、答えは出ていたのかもしれない。 「はたを楽にして、必要とされる人間になり、幸せになる」ために人は働いている。
比田井和孝さんが、船井幸雄さんの話を紹介してくれました。
「なぜ一生懸命働くといいのか?」
人にはそれぞれ生まれ持った役割がある。 人の2倍働けば、人より2分の1の時間でその役割に気づける。 後は人より早くに気づけたその役割を果たしながら働けばいい。 素晴らしいとは思わないかい?
自分はこの世で何をするために生まれてきたのか? 自分の、この人生における役割って何なのか? どう、自分は必要とされているのか?
それを知りたいとは思いませんか?
■ 人生の役割との出合い方
比田井和孝さんが、吉田松陰の話を教えてくれました。 吉田松陰は、「まず志・自分の役割を見つけよ」と教えていたそうです。でも門下生の中に、こんな質問をする人がいた。
「そんなこといったって、志やら、自分の役割やら、どうやって見つければいいのかわかりませんよ」
それに吉田松陰はこう答えます。
※至誠を貫きなさい。※「至誠」とは、ふだんやらなければいけないことを真剣に誠意を持ってやること
【出典】話:比田井和孝
毎日当たり前にやっていること、やらなければいけないことを、真剣に、誠意を持ってやる。
仕事でこれをやると、どういうことが起こるのか。 雑務が雑務でなくなります。真剣に、誠意をもってやりますので雑にはできません。
コピーをとるにも真剣にやり、相手の予測を上回るスピード、誠実さでやっていると、頼まれることが増えてきます。
「あいつのコピーは早い。よし、コピーはあいつ。」
こうして相手の予測を上回る仕事を「至誠貫き」行っていくと、コピー以外の仕事も頼まれるようになってきます。
「頼まれごとは試されごと」だそうです。
またまた頼まれたことも、相手の予測を上回るよう「至誠貫く」を心がけていたら、いずれ、
「あなたにしか頼めない」さらに、 「あなたにしかできないんだ」
という仕事を頼まれるようになります。 人からこれほどまでに必要とされるのは幸せなことです。
「あなたにしかできない」
そういう仕事こそ、自分の人生の役割といえるのかもしれません。
■ 母、人生の役割
そうやって考えると、僕の嫁は人生の役割に出合ったのだなと思います。子を抱く、おっぱいをあげる、おしめをかえる…その一つ一つに至誠を貫いています。 そしてこんなことをメールしてくれました。
娘に、お父さんとお母さんにしてもらうんだね。
人生の役割というのは、一つではないのだと思います。 母として、役割を見つけた彼女が、また社会人として復帰し、そのときに社会の中での人生の役割に迎えるよう、早く自分は父にならないといけないな…と感じています。
ま、社会の中でも人生の役割を見つけられていないのですけど…、僕は。
普段やっているちょっとしたことを、誠意をもってやってみませんか? 相手の予測を上回れるよう、至誠貫いてみませんか? 一緒に人生の役割に出合いましょうよ♪
きっと充実した毎日になると思います!
偉そうな文章になってしまいました。 長い文章、最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。 あなたによきことが雪崩のごとくおきますように。