■ 消費に苦痛がともなう
僕だけでしょうか?
買い物、衝動買い、めちゃくちゃ好きなんですが、どうもツラいんです。
罪悪感というかなんというか…。
使うときには「ごめんよぉ、お金ちゃん」
頭を下げ手を合わせ、お金に向かって十字を切ります。
あんまり健全じゃないですね。
「だ、大丈夫ですか?…」
「あぁ、すみませんチャンポンしちゃって。ほんとは仏教なんです」
「いや、そうじゃなくて、お預かりしても?」
店員さんからすれば不気味そのものです。
消費の多くは悪いものではない。
お金ちゃんに「ごめんなさい」もあまりよくない
(その話はまた今度参考:「楽しく上手にお金とつきあう」)。
でも、いい使い方というのが確実にあります。
今回は、お金の使い方、悪いと良いの見分け方は?
というお話です。
■ それは投資か?
僕は本を読んでいるときにとてつもない喜びを感じます。 とくに 「読み終わるのがイヤだなぁ」 そんな本に出逢ったときは幸せいっぱい。 ひと月に三万ぐらいかけるのですが、これはいいお金の使い方なのか? 嫁さんに言わしてみたら、 「悪よ。場所とる金とるいいとこなし」 そこまで言いませんが、顔で言われています。 僕は何を言われようが、本を買うのは良い消費と確信しています。 なぜなら未来の投資になっているから。 本ほど安い投資はありません。 先人の知恵や知識は、一度得るだけで何度も使える無くならない財産なんですから。 百万円よりも、百万円を生み出す知恵の方が百万倍価値がある。 嫁は言います。 「実践できてないんだから意味ないじゃん」 しゅん…その通り…かな。 「そんなこと言うたら同じような服買うお前のお金の使い方は悪じゃ」 なんてことは口が裂けても言えません。 そして実際これは違います。 言うべきではない。 服を買うのは今の自分、これからの自分の輝きへの投資です。 新しい服を買った嫁のワクワクしている顔は 「老化を止めてるんじゃないか?」 と思ってしまうほどイキイキしています。 事実そうなんでしょう。 「若々しい」という言葉は、「イキイキしている」と同義です。 加齢は止められずとも、若々しくいることで老化は楽しめるはず。 若々しさは老いを吹っ飛ばす。 話を戻しましょう。 キーワードは「投資」。 これがお金の使い方の良し悪しを分けている、と考えます。
■ お金の使い方の良し悪しの見分け方
自分が「投資」だと思えるなら、それは良いお金の使い方です。 健康への投資、 心のハツラツさへの投資、 成長への投資… 素敵なことじゃないですか、そんなふうにお金を使えるなんて。 それに行動ほど効果的な自己暗示はありません。 健康へ投資している!とお金を使っていることが、何よりあなたを健康へと促しているんじゃないでしょうか。 「じゃあなんだって『投資』になっちゃうじゃん」 その通りです。 投資と考えられない消費なんてありません。 しかし、自分にはなかなか嘘がつけない。 「このスロットは心のカンフル剤!投資なんだ!!」 負けてもカンフル剤になってますか? 「このゲームは衝動買いではない!昨日も別のを買ったけど、今日のも違う。投資だ!」 お金を使うことにだけ快感を感じているのではないですか? 「お金を使うことで気持ちよくなるんだから『ストレス解消投資』なんじゃないの?」 それはそうです。 「ふぅー気持ちよく使ってやったぜ♪」 ならいい。でも、使いすぎて「あぁーあ…」と思っていたら… それは良心の呵責が邪魔をするような『投資』は『投資』ではありません。 あなたが『投資』と考えられるかどうか。 本当に『投資』だと信じれるかどうか。 お金の使い方の良し悪しはそれだけで決まります。
■ 最も素敵なお金の使い方?
投資にもさらに上の段階があるみたいです。 自分への投資は確かに直接的で気持ちいい。 でも、もっともっと気持ちいい使い方がある。 それは他の人への投資。 不思議なもので、自分以外の人にお金を使うときは、衝動買いすら気持ちよくキマります。 プレゼントなんかがそうですね。 誰かの笑顔のための投資は本当に素敵。 最も上手いお金の使い方と言えるでしょう。 ここで、ひとつ。 同じ投資でもこの「誰かへの投資」レベルまで上げることができます。 例えば、 もし僕が本を買うとき、ただ自分のために買っているのではなくて、 「自分が得た知識を誰かのために使うんだ!」 と考えられたなら、それは人への投資です。 ラーメンを食べるにしても、 「この店を応援したいから」だったら? 嫁の化粧品やら服の投資が、 「あなたのために素敵でいたいの」だったら? お金の使い方も考えようです。 どうせ使うなら、とっても気持ちよく使いませんか? 「ということだから嫁、俺のために素敵に金を使ってくれよ」 「どう言われようと服は買うわ。必需品ですもの。化粧品もね」 …しゅんっ…