■ 疑心暗鬼恋愛編
浮気…してるんじゃ…? 彼氏だか彼女だかを疑い出し、携帯をチェックし日記をチェックし出したら、気をつけた方がいい。 「やっぱり…」 安心できるのは証拠を見つけ出したときだけです。 見つからない間は、 「良かった…」 と思っているのは表面だけで、不安、疑心の種はやわらいだとしても消えては無くなりません。 「今日は見つからなかっただけ」 そう考えるのが人の常というものです。 毒々しい種は、また次もあまり見栄えのよくない花を咲かせる。
■ 疑心暗鬼とは
チェックを繰り返しているその行為が、どんどん相手を信じれなくしていることに早く気づいた方がいい。 疑心暗鬼という言葉は、 疑いの心を持っていれば暗闇に鬼がいるようにすら思えてくる、 そこから来ているらしい。 鬼は自分の心が作り出している。 お化けが見えるのは、信じる者だけです。
■ 疑心暗鬼親子編
チェックといえば、親が子どもに勉強しているかどうかを調べるのもそう。 「ちゃんとしているの!?」 「しとるわぁ」 「やったとこ見せてみなさい」 やっていた証拠がなければ 「やっぱりじゃない」 怒りという名の安心に変わる。 やっていた証拠があったとしても、 「エラいじゃない(今日はね)」 そういうやりとりが楽しいのならいいのですが、たいていは楽しんではいません。 「いっつもそんな成績で恥ずかしくないの?」 「恥ずかしがってんのはあんただろ?」 そんなことを子どもは言えない。 自分を心配している格好で親が安心したいだけ、そんなことは子どもは簡単に見抜いてしまいます。 自信とは、自分のこと、自分の力を信じることです。 親に信頼されていない自分を、子どもはなかなか信じることはできない。 多かれ少なかれ、大人だって同じです。 相手に自信を持ってほしいのなら、まず信じてあげること。 信じるには疑う行為、チェックをやめた方がいい。 信じたいからチェックしているのよ。 その疑心が暗闇に鬼を生むのです。 相手に信じさせてもらおうなど、甘えているのはどっちだろう? 依存しているのは、どっちだろうか? 何にしても、疑う心に得はありません。 相手の自信を奪い、心を挫き、 自分の気持ちはどうしたって晴れることがない。 一蓮托生である相手の損は自分の損ともいえます。 自分が二倍損する疑心暗鬼。 喰われる前に捨てるが吉、そうではありませんか? 「ところで千石さん、疑心に焼かれたことあるんですか?」 え? 「なんか、真に迫ってません?」 えっ?そらぁ、ねぇ?