アイデアホイホイ〜3分のヒマつぶし

入れて出す、3分間・・・アイデアを、だよ?

アイデアホイホイセイレーン

怒りがこびりつくあなたへ1「怒りがこびりつく理由」

■ 怒りのシーンをリピートしてしまう

「くっそぉ、お義母さんはあんなこというなんてひどすぎる!いなくなればいいのに!!」 「なんであんなクレームを俺が受けなきゃいけなかったんだ!しかも人格を否定するような言い方しやがって!」 「先輩はどうしてあんな意地悪な言い方しかできないんだろう!」 「あいつ、俺がおとなしそうだからってナメやがって。不良がなんだ!!いつか殴ってやる!」 怒りの場面は人それぞれ、あなたにもありますよね? 今思い出してもムカムカするでしょう。 「ノホホンと生きてるね」 「悩みないんでしょ?」 そんな風にいわれる僕にも、もちろんあります。思い出すだけで腑(「はらわた」で変換したら出た)煮えくり返るような出来事。 それを思い出すたび怒り、 「今度やられたらああしてやる!」 なんてシミュレーションしてます。 ま、それで実際同じようなことがあったとしても、「ああ」してやれることなんてまずないんですけど…僕の場合。 怒りのシーンを何度も何度も頭の中で繰り返す。 これが、怒りがこびりついている状態ですね。

■ 怒りがこびりつく理由

「どこ吹く風」なんて、さっさと忘れられたらいいんです。 それなのに、なんでこんな風に怒りがこびりつくのか? その理由は、「笑い」にあるそうです。 「笑い」に隠れた他者中心になりすぎている自分。 それが、こんな風に怒りをこびりつかせる。

【引用】相手の顔色をうかがったり相手の動向を気にしたりして、相手のことで頭と心の中がいっぱいになってしまう「他者中心」の人ほど、恐れを回避するために、つい「作り笑い」をしてしまうでしょう。 【出典】すばる舎『「しつこい怒り」が消えてなくなる本』P28 著:石原加受子

怒りのシーンを回想して、 「あのときああしておけばよかった」 そうシミュレーションするのは、「ああ」できなかったからですよね。 阪神大震災のとき、乗り継ぎの電車が使えなかったので、三駅ほど歩いて中学に通っていました。 少し年上かな?目のぱっちりしたハーフっぽい人が前から歩いてきました。友だちと、その人にぶつからないよう歩いていたら、なんだか近寄ってきます。 ドン 「おい!なにぶつかってきてんねん!」 ぶつかってきてんねんってこっちは端を歩き、さらに当たりそうになったのをヒョイって避けているんです。それをわざわざ当たってきた。 ハナから絡む気だったんですね。やはり次の一言が出ました。 チンピラ「金だせ。そしたら許したるわ。」 千石と友「で、でも、全部渡したら電車乗られん。」 チンピラ「あぁ!?…まぁしゃーないか。電車賃以外渡せ」 千石と友「え??んじゃ、これだけ…はい。」 チンピラ「お、ありがとう。これから気をつけろよ!」 千石と友「えっ?あ、あぁ。じゃぁ、バイバイ。」 チンピラ「バイバイ」 笑顔で別れます。 …笑顔でって笑顔じゃねぇよ!!って。 後で思い出しては、テニスラケット出しておもっくそ殴ってやればよかった!とか、友だちとコテンパンにできたやろとか…。 というか一番は「なんで笑顔やねん」っっっって。 自分のやりたかったことと違う行動をしたので、次はこうやってやると反芻します。 勤めていると、会社では笑顔対応が基本。お客にはもちろん、仲間にだってそうです。 他者中心にならざるを得ない。 他者中心もいいのですが、自己犠牲の元の他者中心はいかがなものか…。 自己犠牲無く笑顔でいる、それがいいと思います。 その時々で「イラっとしている」自分に気づき、まぁしょうがない笑顔で対応してやろう…ぐらいに思っていたらまだいいんです。 でもクセになっていて、気づかぬうちに笑顔で流していることってないですか? 自分の選択しない行動、無意識で笑顔を相手に向けてしまっているとき、後々で怒りのシーンリピートをすることになってしまいます。 本当は笑顔ではなく、ああしてやりたかった、あぁ言ってやればよかった、というように。 いったんここで切らしてください。 次回の記事は続きで、「自分をいじめている」ことについてです。 ありがとうございました。 参考にしてください→ 「怒りがこびりつくあなたへ2」 「怒りがこびりつくあなたへ3