◆ 宝くじ好きですか?
携帯電話で記事をつくるの久しぶりです。 いつもポメラちゃんにお世話になっておりましたので、有り難みがわかるわぁ。 で、宝くじの話。 僕も宝くじ好きなんです。高校生のころ一億円を夢見て買っていました。 今は三億円ですもんね…ほしいわぁ三億。 自分も含め「宝くじを買う人」の多くに共通する願いがあります。 それはこの、 「三億円が勝手に懐に入ってこないかなぁ」 というもの。 ポイントは「勝手に懐に」です。
◆ 再現性の無い幸せ
「宝くじに当たった人物の幸福感を追跡調査した」という記事を読んだことがあります。 当たったときには大きな幸福感を感じているが、その多くの人は1年後、元の幸福のレベル、もしくはそれ以下になっていたそうです。 なぜか? 慣れ、ですね。 当たった大きなお金で豪邸を買い、1年後、それが形として残っていても人の心はその幸せに慣れてしまう。 「また当たらないかな…」 元の木阿弥。繰り返します。 そして「勝手に懐に」の宝くじには再現性がありません。 「一度当たったので、当たり方が判りました。十回に一度は当てられます」 なんてことは無いのです。(もしあるのなら、こっそり千石にだけ教えてくださいね♪) 「当たらないかな…当たったら幸せなのにな…」 当たらない自分は幸せではない、という確認を何度も何度も脳でするのだから、幸福感が上がるわけはありません。
◆ 当たったら不幸せ!?
こんなこと書いたら、宝くじ頑張っている人たちに怒られそうですね。 夢を売り、夢を買う。 僕も好きなんですよ、宝くじ。 ただ、買う側の心構えで、あまり幸せにはなれない、というのをお伝えしたいのです。 一時得られる幸せ、快感のおかげで種を保存してきたのだから、一時的な幸せも悪くない。 ただ、自慰行為などと違って、何度もいいますが、宝くじには再現性が無いのです。 かけがえの無いものを得られたとき、人は大きな喜びとともに、その大きさに見合う不安を抱えます。 娘を授かったとき、なんともいえない大きな感動で涙が出てきました。 しかし、しばらく抱いていて、その弱々しさに「もしこの子を失ったら…」、底知れぬ不安におそわれます。 もう「いろは」を授かることは一生できない。 親が、自分の子をなんとしてでも守るのは当然です。 「子はまた授かれるじゃないか」 なんて考えられません。 再現性が無いのだから。 話を戻します。 宝くじが当たっても、同じ方程式で、人は不安を抱えることになります。 再現性が無いことを、みんなどこかで判っている。 「誰にも渡さない!私のものよ!」 「失いたくない!こんな幸運、二度とないんだから」 「急になれなれしくしてきて…この親戚、私が当たったこと知ってるのかしら」 人間不信に陥ったりします。誰も信じられなーいって。 1年もこんなんやってたらノイローゼにもなりますよね。 湯水のごとく使った方がまだましです。
◆ 再現性のあるところで勝負する
パンを欲しがってる人にパンを与えるのはいいんですけど、もっと素敵なのは、パンの作り方を教えてあげることです。 一時の幸せも大事ですが、永く楽しめる幸せが、やっぱりいいじゃないですか♪ ま、たまに「勝手に懐に」を願いながら、基本は自分の力で左右できるとこで勝負していきませんか? ポッともらえる一億より、自分で稼ぎ出した百円の方が価値があります。 ということで僕も電子書籍を書きました!あと体裁を整えるだけなので、良かったら買ってみてください♪ 販売開始したらご報告しますっ! 長い文章、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。