by:OiMax 心ってなんで「こころ」っていうのか?という話を斎藤一人さんから聞きました。 この話も好きなので紹介させてください。 「人間万事塞翁が馬」とは?というところから今日はよろしくお願いします。
■ 人間万事塞翁が馬という話
「人間万事塞翁が馬」の話は、もともと「淮南子(えなんじ)」の中の故事に基づくお話だそうです。 淮南子は漢の王様が学者を集めて作った21巻もある本でございます。僕も見たことはありません。 「塞翁が馬」の「塞翁」というのは昔中国の北辺の国境辺りに住んでいた翁…老人のことです。 ある日、塞翁さんの飼っていた馬が逃げてしまいました。村の人は、 「災難やったやん」 と声をかけます。塞翁さんは、 「それはどうかなぁ」 まもなくその馬が帰ってきたんですが、ただ帰ってきたのではなく、とっても素敵な駿馬を連れて帰ってきたんですよ。もう村の人たちは、 「すっごいツイてるやん!」 とはやし立てました。 でも塞翁さんは、 「それはどうかなぁ」 またまたこんな調子です。 塞翁さんには年頃の息子がおりました。その息子が駿馬に乗っていたんですが、落馬して足を折ってしまうんです。 「働き盛りなのにかわいそうやね…」 「それはどうかなぁ」 もう村人たちは「???」です。 しばらくして戦争が起こりました。村の若者たちは兵としてかりだされ、そのほとんどが戻ってくることはありませんでした。 そんな中、塞翁さんの息子は動けない足のおかげで兵役をまぬがれ死なずにすんだのです。 「ほんまによかったな」 「それはどうかなぁ」 といったかどうかは知りませんが、「人間万事塞翁が馬」とは、
【引用】さいおうがうま【塞翁が馬】 人生、思いがけないことが幸福を招いたり、不幸につながったりして、だれにも予測はつかないということ。また、だからやたらに喜んだり悲しんだりしてもはじまらないということ。 【出典】学研『故事ことわざ辞典』
という意味になります。 英語では「Joy and sorrow are today and tomorrw.」というらしいです。 「今日の喜び明日は悲しみ」なんて、「昨日の強敵(ライバル)は今日の強敵(トモ)」みたいですね。
■ 「塞翁が馬」のような心
小さいことに一喜一憂してしまいます。 出版社に「今回出版は…」なんて言われるとやっぱり少なからずヘコみます。 でも、今蹴られることが不幸かどうかは誰にもわかりません。もしかしたらいいことかもしれないし、悪いことかもしれない。 でも本当のところは誰にもどっちなのか言い切れないのなら、まぁどうでもいいんじゃないでしょうか。 あんまりヘコまず淡々としれいればいいんですよね。 「そうは言っても落ち込むって」 そんなときは斎藤一人さんのお話です。
【引用】心ってコロコロ変わるから「こころ」っていうんだよ。 【出典】CD『普通はつらいよ』話:斎藤一人
でね、斎藤一人さんは「いいこと」が起こる前兆を感じることができるのだそうです。 それは、
【引用】「あっ、今からいいことある」と、これまで外れたことがないのです。 それがどういう感じなのかというと、前触れとして嫌な気分がするのです。 嫌な気分のあとは、いい気分になるに決まっているのです。(中略) 物事は順番に起こるのです。いい気分、嫌な気分、いい気分、嫌な気分と、代わる代わるやってくるようになっているのです。 だから嫌な気分になってきたら、「あ、これはそろそろいいことが起こるぞ。いいことがすぐに起こるぞ」と、思えばいいのです。 【出典】マキノ出版『普通はつらいよ』P77-78 著:斎藤一人
そう思うようになると、 「まったく!なんであんな目にあうねん!!」 なんて気分の悪さを、 「あぁもうすぐいい気分が来る♪」 なんてふうにフワっと手放せた気がしてきます。 心はコロコロ変わる。すーぐ他のことを考えてしまいます。 それをいかして 「悪い気分」=「いい気分の前兆」 楽しいですよ、これ。 塞翁が馬で「今の悲しみ」は、すぐ「次の喜び」です。
■ 塞翁が馬と一切皆苦
仏教の「一切皆苦」は「全ては苦しみだ」という悟りですが、なんだかとっっってもネガティブです。 でも、実はそうでもないことを知りました。 体中筋肉痛なのです。 これは「苦」なんですけど、嫁さんに腰も揉んでもらったときの幸せっちゃぁありません。 普段揉まれるのは別に気持よくもなんともないんです、僕は。 同じ揉まれるなのに、筋肉痛のときは「楽」と感じる。 揉まれる気持ち良さ(楽)は、筋肉痛(苦)があってこそ感じられるものですね。 つまり、楽は苦が無いと存在できない。 というか「楽は苦が見せるまやかしなんだ」ということであります。
【引用】楽がなくても苦は存在するものの、楽はといえば、苦がなくては存在しない、ただの蜃気楼なのでした。 【出典】ディスカヴァー21 『煩悩リセット稽古帖』P221 著:小池龍之介
仕事にも就かず、日銭を稼ぐバイト以外は好きなことだけしていた時期がありました。 よくよく考えれば、それほど楽しくはありませんでした。 ただただ「楽」というのは存在しないのだと、ピーターパンの時期があったのでよく判ります。 仕事に明け暮れる今の方が、同じことをしても千倍楽しめる気がしています。 塞翁が馬で何が災難か幸運かなんて判りません。 その災難のおかげで、「普通の日常が千倍幸せに感じられる」ということが確かにあるのだから。 美味しい肉は不味い肉があるからこそ存在できるんです。全てが同じく美味しい肉なら、どんな肉もただの肉にすぎません。 嫌な人がいるからこそ、普通の人が輝けるんです。 一切皆苦。 苦があるこそ楽を感じられるなら、全ては「楽」の呼び水に違いありません。 今日の記事が少しでもあなたの役に立てば幸せです。 あなたによきことが雪崩のように起こりますように。 ありがとうございました。