ACがよくTVで流れました。 そのおかげで知った詩人が「宮澤章二」さん。
■ 行為の意味
【引用】 確かに〈こころ〉はだれにも見えない けれど〈こころづかい〉は見えるのだ それは 人に対する積極的な行為だから 同じように胸の中の〈思い〉は見えない けれど〈思いやり〉はだれにでも見える それも人に対する積極的な行為なのだから 【出典】ごま書房新社『行為の意味〜青春前期のきみたちに〜「行為の意味」』P108-109 著:宮澤章二
宮澤章二さんは、小中学校300校の校歌を作詞された方です。 有名な作品では、
走れそりよ 風のように(中略) ジングルベル ジングルベル すずがなる
ご存じ『ジングルベル』があります。 その宮澤章二さんの詩集『行為の意味〜青春前期のきみたちに〜』から。
■ コトバの重さ
塾では中学生を見させてもらっていました。 生徒は受験が終わっても、 「一応三月分の月謝を払っているから…」 と、三月の最後の週まで塾に来てくれます。 千石「さ、高校の準備すんぞ」 生徒「えぇ、もういいよ!とりあえず受験は終わったし♪」 千石「まぁ、そうか…なぁんて言わないんだよぉ!こっちもサラリーもらってるんやから、顧客満足にこたえないとね」 生徒「お客さんが最後ぐらい遊びたいって言ってるんだから♪」 千石「ばーーーか言っちゃいけない♪私の顧客は、あなたたちの保護者さま方でござります♪お金、払ってないでしょ?君たち。はい、勉強勉強♪」 生徒「くっそーーーー」 そうは言っても、最後の授業を少しだけ早く終わり、お別れ会をするんです。 受験直前、毎日来るみんなと授業したり自習したり「あぁだ、こぉだ」言いながら一緒に勉強してきたことを思い出します。。 夕方、放課後以降の夜だけのお付き合いだったけど、(って変な意味じゃないですよ)そんな彼らにどんな言葉を贈ろうか…。 そんなことを考えていたら、ふと思い浮かんだこと。 「もう、『また明日』って君らに言えないんやな」 何気なく言っていたコトバの重さに、初めて気づいた瞬間です。
【引用】聞けるときに 聞いておかないと 決して聞けないコトバがある 言えるときに 言っておかないと 再びは言えないコトバがある 【出典】ごま書房新社『行為の意味〜青春前期のきみたちに〜「流れのなかで」』P170 著:宮澤章二
■ 当たり前のコトバ、「当たり前」の重さ
嫁「おはよー」 僕「ぉ・ぅ…」 … 嫁「「「おはよう!!!!」」」 僕「『おはよう』、言うてるやん!」 嫁「蚊の鳴くような声して、聞こえないわよ!挨拶ぐらいちゃんとして!おなかのベビちゃんにもほら!」 僕「ぐむむ…おはよう!」 よくある、千石家の喧嘩です。 何か一つのことをしていると、まわりの声が僕を通り過ぎていくのですよ。一応反応はするのですが、「蚊の鳴く」とはよく言ったもんで、相手はその反応が気にくいません。 ほっといてくれよ!とも思いますが、反省するのは僕の方でございました。 『また明日』が言えなくなるのなら、『おはよう』も『ありがとう』も『愛してる』のコトバだって言えなくなるときがきます。
【引用】 子供がどんなに大きくなっても 青年になり 独立しても その子が家に帰って来たとき 「おかえり」と 親は言ってやりたい いつまでも 言ってやりたいのだ ひとこと ただ「おかえり……」と けれど 通例 父も母も この世から消え去ってしまうのは 子供たちより ずっと早い それが この世の決まりだから 「おかえり」と 親が言える時刻の そして「ただいま」と 子が答えられる時刻の ことば に込められた宇宙の重さ…… 【出典】ごま書房新社『行為の意味〜青春前期のきみたちに〜「ことばの風景」』P168-169 著:宮澤章二
おはよう、おやすみ、いってらっしゃい、いってきます、おかえり、ただいま…。 この世に「当たり前」も「平凡」もない。 いつでも帰る場所がある、安全地帯を持っている人は強い。 でも、そんなあたたかい安全地帯は、お父さんやお母さんの「おかえり」のコトバで奇跡的に作られているのだと、今なら判ります。 「いってらっしゃい」「いってきます」は、また帰ってくるという約束が込められているのだけど、約束がどうしても守れないときがある。 そのコトバが最後だと知っていたなら、あんなこと言わなかったのに…。 当たり前のコトバ、当たり前の重さ…当たり前なんかないんだ…。 コトバを軽んじる毎日…改めたいと感じます。 ありがとうございました。