by:Brittany's Expressions 「びえぇぇぇぇん」 近所の子と喧嘩したというか、なぐられたというか、いじめられたというか、千石少年はよく泣いて帰ることがありました。 そんなとき母親や祖母はよくこの言葉をかけてくれたんですね。 「弥一、『負けるが勝ち』やで。気にすんな」 子どもの頃はよく判らず、「まぁ『負けるが勝ち』か」と負け惜しみチックに心の中でつぶやいては、どこにもやれない悔しさのようなものにケジメをつけておりましたが、どうも、どう考えても『負けるが勝ち』というように思えるようになってきたんです。 今日はそんな『負けるが勝ち』のお話。どうぞ本日もよろしくお願いします。
■ スポーツ・勝負ごとも「負けるが勝ち」
スポーツの多くは勝ち負けが関わってきます。負けると腹が立つし悔しい。 腹立って悔しいのが嫌で嫌でたまらないのならやらなきゃいい。でもやってしまう。 勝つことの嬉しさっちゃぁありません。 勝ち負けを超えたところでスポーツができるときもあります。そういうときはスポーツの本質を悟っているのでしょう。 スポーツの本質は「楽しむ、楽しませる」。 スポーツはやっていて面白いものなんですから、楽しめばいいんです。負けたら「あぁ負けちゃったね」勝ったら「あぁ勝ったね」、でそれで終わり。 負けを楽しめないのなら、ただやめればいいんです。 アマとプロが違うのは、見ている人を楽しませることができるかどうかということですね。 お金を払っても見たくなるような素敵さが、フォームやらプレーやらからにじみ出ています。 で、すごいプロってのは、負け試合でもファンを楽しませることができている気がするんです。一緒に悔しがらせてね、 「くぅ、次も応援するからなっ」 なんて生き甲斐ともいえるような楽しみを提供している。 勝っても負けても楽しみさへ提供できていれば、それでいいのだと思うのです。でも、負けてなお楽しみを提供できるってのは、勝つことよりも難しいのでしょう。 なんだか横道に外れまくっているような気がしますが、やっぱり『負けるが勝ち』です。 勝って楽しかった、楽しませられた!というのは当たり前なんです。 でも、負けても楽しめるというのは悟りの領域です。 そして、負けてもファンを楽しめさせられるような試合ができた人というのは神の領域にいるといえましょう。 負けたときこそ、表面の薄っぺらいところではなく、中心にある核で相手に勝つことができます。 「1日も早く、また選手と勝利の喜びや、負ける悔しさを味わいたい」 王監督は胃がんの手術後退院されたときそんなことをおっしゃっていました。 負ける悔しさも、野球の醍醐味なんですね。 また野村監督からもこんな言葉を教えていただきました。 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 江戸時代の剣術の達人、松浦静山さんの言葉だそうです。 負けたときこそ、多くのことを学ぶチャンス。 『負けるが勝ち』。 多くのことを得られる負けは、勝ちより尊いに違いありません。
■ ビジネスだって「負けるが勝ち」
社会人ぺーぺーがビジネスを語るな、とい感じですが、「負けるが勝ち」の真理はビジネスにだっていえるような気がします。 意味の分からない勝ちに溺れれば、盛者必衰の理どおり、衰退の道まっしぐら。
【引用】うまくいっているときほど、そのやり方に固執し、周りへの感謝を忘れ、そのときの成功パターンが忘れられず、勘違いをしたまま、時代から取り残されるようなことになってしまいます。 【出典】ダイヤモンド社『起きていることはすべて正しい』P60 著:勝間和代
感謝を忘れた状態では、ビジネスはおろか人生にも冷たい風が吹きそうです。 また、「負けるが勝ち」の精神があるからこそ、あきらめず、最後までやりぬいて、結局最終的に勝てるのだと思うのですね。 なまじはじめっからホームランを狙い三振するから空振り激しく、転倒してしまう。 「なんでホームラン出ないんだ!やっぱり無理なんだな、俺には」 落ち込んでしまいます。
【引用】一発目からホームランが出ないと落ち込んじゃうってこと自体が、おかしいんだよ。 まあ最初のうち、商売でも何でも、「十に一つぐらいの実力だな」と思ってれば間違いないと思いますよ。 【出典】三笠書房『斎藤一人 人生が全部うまくいく話』P42 著:斎藤一人
九回負ければいいんだと思います。 「あぁよかった、こんなことが学べちゃったよ」 なんて思っていれば十回目には勝てるかもしれません。 負けるが勝ち…で最後に勝ち♪です。
■ ただのケンカも「負けるが勝ち」
人というのは相手と比べ「自分の方が優れている!」と思いたくてしょうがないので、 「俺の方が正しい。あのドラマの主演は木村拓哉、キムタクやで」 「何言ってんの!小栗旬、オシュンに決まってるでしょっ!!」 「お旬ってなんやねん!小町みたいな言い方しやがって」 「オシュンはオシュンよ!オシュンが主演よ!!」 すぐに言い争いをします。 口げんかをしてしまうのは、「自分の方が正しい」と言いたい、思いたい、証明したいからです。 何かにケチをつけるときも同じ。
【引用】ケチをつけたくなる、という心理を仏教的に見てみると、「これにケチをつけられる私のセンスは、すぐれてるヨ」という裏メッセージを含んでおりまして、ケチをつける対象よりも自分を優位に見せたい、という欲望と結びついているのであります。 【出典】幻冬舎『「自分」から自由になる沈黙入門』P12 著:小池龍之介
怒ってガミガミ言ってくる人、ケチつけてくる人、ケンカふっかけてくる人、そういう人は勝手に怒らせておいて、 「あぁ、なんとかして自分が上だと思いたいんだね」とか 「人にケチつけてないと自分の価値を見いだせないんだね」とか 心の中で笑ってあげればいい。 「はいはい、参りました」 やっぱり「負けるが勝ち」。 怒り返したりせずに、その場でケンカに負けても勝っているのは確実にこちらです。 怒りまくしたてガミガミ言える方が勝っているように見えても、それは表面的な話。 小物ほどよく吠えるのです。
【引用】性格的には、怒る人は人間の中でも最低です。何もできない負け犬です。 動物の世界を見ても、それはよくわかります。弱い動物はやっぱりすぐ怒ります。人間に向かってよく攻撃してくるのは、小さくて弱い動物が多いでしょう?反対に堂々たる動物ほど怒りませんね。 【出典】サンガ『怒らないこと』P145 著:アルボムッレ・スマナサーラ
■ 「負けるが勝ち」だから「負け」も大切に
「負けるが勝ち」。 この言葉は、世間一般の勝ちに大した価値がないことを教えてくれます。 かといって「勝ち」をバカにするわけではありません。勝つのは嬉しいです。 ただ世間で言われるところの「負け」を大切に生きていると、いいことが以外とたくさんある気がしてなりません。 負けるが勝ち、その精神で「負け」すら楽しみ笑い飛ばせたなら、心の揺れないデカい器の持ち主になれるのではないでしょうか。 と、そんなことを打ちながら筆を置きたいと思います。 本日も長い文章におつきあいくださり、ありがとうございました。 あなたに怒りのない落ち着いた毎日が訪れることを祈っております。