愛妻が
「そ、そんなに・・・なめないで」と。
私は、やめなかった。
艶…
そんな艶っぽい話から、ちょっと苦悩の話。
「あ、落差」すごい?Amazon級でしょ?
それアレクサ。
【目次】
- ■ 『7つの習慣』コヴィー博士の苦悩
- ■ 秘すれば花
- ■ ヒドゥン教育とは
- ■ 『7つの習慣』コヴィー博士のヒドゥン教育
- ■ 子どもに伝える言葉
- ■ 「ヒドゥン教育とは~日常に潜む隠された教育」参考文献
- ■ 反響掲載予定
■ 『7つの習慣』コヴィー博士の苦悩
コヴィー博士は、奥さんのサンドラさんと一緒に、息子さんのことで悩んでいました。
息子さんは学校になじめず、答案の書き方を理解できなかったので成績もふるわない。
対人関係も未熟で、親友を困らせることもあったみたい。
運動も……ピッチャーの手からボールが離れる前にバットを振る感じでした。
みんなの笑い者になっちゃって。。。
あなたの息子さんだったらどうしますか?コヴィー博士たちは、
【引用】私たち夫婦は息子の力になろうと必死だった。私も妻も、人生において何で「成功」したいかと問われれば、親としての成功以外にはないと思っていた。だから、息子のためになるようにと、彼に対する自分たちの態度と行動を改めた。積極的な心構えというテクニックを駆使して、息子を励まそうとしたのだ。「頑張れ!おまえならきっとできる!バットをもう少し短く持って、ボールから目を離すな。いいか、ボールが近くにきたらバットを振るんだぞ」息子が少しでも上達すれば、もっと上達するようにと、「いいぞ、その調子で頑張れ」と励まし続けた。【出典】キングベアー出版『完訳 7つの習慣~人格主義の回復』P6 著:スティーブン・R・コヴィー
私もきっと同じことをするかもしれません。
いきなりですけど、得意分野の文章術の話。
■ 秘すれば花
世阿弥さんは、もうちょっと高等な形でおっしゃっていた気がしますよね。
結果を秘することで、花とする。
「見る者は、予想もできなかった結果を見て驚くのだ」ってな感じ。
文章は基本的に伝わらないと意味がありませんけど、はっきり伝える方法もあれば、隠して伝える方法もあります。
そのどちらを選ぶかが面白いところで、「秘する」技法を用いつつ伝えられたらちょっとした達人ですな。
冒頭はちょっと「秘」してみました♪
想像力かきたてられましたか?ならうれしい💕
秘することで、直接言ってしまうよりもインパクトある伝え方ができる。
それが「秘すれば花」の技法です。
さて、コヴィー博士が悩んでいたのは「教育」に関することですよね。
教育を超えたところにある、親子関係の中心に及ぶ悩みですけど。
「ヒドゥン教育」「ヒドゥンカリキュラム」という言葉をご存じですか?
■ ヒドゥン教育とは
ヒドゥンカリキュラムという方が通じているのかしら。
教育現場で、ヒドゥンカリキュラム、ヒドゥン教育っていうのを意識している人としてない人は、段が違うんです。
そういう教育者に出逢うと「ワンステップ上だなぁ」って感じる。
で、何なのかと。
ヒドゥン教育とは、「隠された教育」「隠された教育効果」のことです。
具体的にいうとね、ちょっとあなたが教室にいることを想像してみてください。
先生が言います。
「ではこの課題を5分考えてみてください。用意はじめ」
そこから机間指導で先生は回るのですが、一直線であなたの元に来ます。
「どう?できそう?」
「たぶん」とか答えたら、うなずいて先生は去って行く。
ただ、その先生、何かしら自力追究課題に入るたび、あなたのところによって声をかけていきます。
ここで隠されたメッセージって何でしょう?
「先生は・・・私が・・・好き?」
正解。
この先の文章読まなくていいので、幸せに生きていってください。
ただ、友だちになりましょう。あなたのこと、私、好きです。大好きです。
児童生徒が感じるものは1つ。
先生のやさしさも感じてくれるかもしれないけど、
「私ってそんなにできないんだ?」
です。
これがヒドゥン教育。知ってか知らずか、潜在的に育んでしまう教えの効果。
直接伝えるよりも、インパクトがあります。
おそろしいでしょ。
■ 『7つの習慣』コヴィー博士のヒドゥン教育
このヒドゥン教育の話を読んだ後なら、コヴィー博士の苦悩も理解できるかもしれません。コヴィー博士が、暗に、潜在的に、息子さんに伝えていたメッセージはなんなのか。
【引用】私たちの心の奥底を正直に探ってみれば、「あの子は他の子たちよりも劣っている。何かが足りない」と思っていたことは明らかだった。自分たちの態度や行動を変え、どんなに言葉を尽くして励ましても、息子がそこから感じとるのは「おまえは劣っている。だからお父さんとお母さんが守ってやらなくてはならない」というメッセージだ。【出典】キングベアー出版『完訳 7つの習慣~人格主義の回復』P7 著:スティーブン・R・コヴィー
振り返ってみて、思い当たることありませんか。
旦那に先手先手で予定の確認をしすぎて、
「うるせぇ」
ってキレられて、ブチギレ返す。
長女にばかり大切な仕事を頼むあまり、次男の一言
「ぼくはできないから♪」
「お父さん、お父さん!あのさ!」
「なぁにぃ~」とスマホから目を離さない。
こういった行為は、ヒドゥン教育として、相手に何を伝えているのでしょう?
「あなたには任せてられない」
「あなたにこの仕事は無理」
「お前の話は聞く価値がない」
…おそるべし、ヒドゥン教育。
コヴィー博士たちはどうしたのか。
【引用】私と妻は、自分自身に目を向けることにした。テクニックを使うのではなく、心の奥底にある動機、息子に対する見方を変える決心をした。息子を変えようとせず、一歩離れて距離をおき、彼に対する私たちの見方から離れて、彼自身の本質、独自性、一人の人間としての彼本来の価値を感じとろうと努力した。(中略)息子を肯定し、彼の価値を認め、成長を喜ぶことが、親の自然な役割なのだとわかった。さらに、自分たちの動機にも意識的に働きかけ、子どもたちが「良い子」であることに満足感を得ようとする態度を改め、自分自身の内面的な安定を育てる努力をした。
【出典】キングベアー出版『完訳 7つの習慣~人格主義の回復』P10 著:スティーブン・R・コヴィー
■ 子どもに伝える言葉
ヒドゥン教育として隠して伝えるだろうが、そのまま分かりやすく伝えるだろうが、どっちでもいいんですけど、子どもに伝える言葉は、
「心配してる」
ではない方がいいみたい。同じ7文字なら、
「信じているよ」
がいい。
ただそれが、言葉では「信じている」と伝えているつもりでも、言葉以外で(ヒドゥン教育として)「信じられない」と強烈に継続的に潜在的に伝えているのかもしれない。
【引用】いいかい、本当に賢い子は、親の言うことを聞かないんです。放っておいて、好きなことだけさせておくのが一番なんだ。
そしてもっと大事なのは、お母さんが好きなことをするということ。【出典】株式会社KADOKAWA『斎藤一人 愛とゆるし』P148 著:斎藤一人
一生懸命自分がいいと思う方に矯正しようとしている。
その行為が、
「教育熱心ね」
なんて周りに評価されたりするのがこわい。
コヴィー博士と奥さんの最初の行動に違和感など感じません。
とても素敵なご両親だと感じる。
そこからのコヴィー博士と奥さんの気づきは、もう神の領域だと思うけど。
ヒドゥン教育。
子を変えようとしない。自分を振り返る。
うん、自分を振り返りたい。
愛妻が
「そ、そんなに・・・なめないで」と。
私は、やめなかった。「もうちょい。もうちょい。」と私。
「もうお母さん、もう一つ買ったら?」娘がソフトクリームを息子にわたしながら言う。
「お父さんの次食べるの、ほんとにイヤだ」
「そんなこと言ってたら、見本にならないよ。」
「あなたが子どもたちの食べ方を見本にしなさいよ」