どうしても正解を求めてしまう。すぐに解決策がほしくなる。
だからたくさんの自己啓発書を読む。
ゲーム。
攻略本を買うことはなくなったが、攻略サイトは見てしまう。
買ってから見てやってみるならまだいい。
ひどいときは、ゲームの評価、レビューを調べ尽くし、買うかどうかすら正解を求めてしまう。攻略方法すら見てしまい、最終的に楽しいか楽しくないかの判断をして、いよいよ買った、やってみよう!というときになったら、既に飽きている。
結末が分かっている小説を読むほどではないが、「今の動作が犯人判明の伏線になっている」と知っている映画を観る程度のつまらなさがある。
分かっている。そうなると分かっているのに、どうして私は正解を求めてしまうのだろう。
「書く」趣味でも、「書き方」の正解を求めてしまう。結果「書き方」は、やたらと知っているが、作品が生まれない状態が出来上がる。なぜ?
趣味への気持ちが萎えていく。
正解を求めてしまうことが悪いわけじゃない。それを求めて試行錯誤し、何かに気づいていける人がいるから。
でも私の求め方は、いけない。「その気づき(正解)」だけを知りがっているから、終わりが早い。なんでもかんでもがツマラナイ。人生をツマラナクしていると感じる。
「つまんにゃーい」
どうすればいいんだって話だ。
トライ&エラーをくり返し続ける、ってことなのかしら。
エラー出したくない。遠回りしたくない。その心がゲームを飽きさせ、趣味への気持ちを萎えさせ、人生をツマラナクする。
今やってみる(トライ)を大事に楽しんでいく心。それを根底に持てば、色あせて見えていたものから彩りを感じられるのだろう。
だから、まず、今ちょこっとやってみる。
人の正解なんて探している時間がもったいない。
今、やれ、私。