「最近、スゴい本読んでるね」
と、言ってくれる人が増えてきた。
同僚、ブログ仲間、そして家族。
「スゴい」は、ものごっつい難解な本という意味ではなくて、量の話だ。
まぁそうだろう。会うたび、その時々で持っている本が変わるのだから。
そして実際、読み終わってから次へ行っている。
つまり、積読ではなく、珍しく読了しているのだ。
20年ほど前、書く楽しさに目覚めた。
もともと本を読むなんてことをしなかった自分が読むようになったのも、書く為であった。
「もっと楽しいものを書きたい」
「文章がうまくなりたい」
自己啓発書を読むにしても、小説を読むにしても、全てがその為だった。
もっと突き詰めると、書くこと自体も「何かの為」だったと思う。
「ほめられたい」
「喜ばれたい」
それこそ「誰かの為になりたい」
「為」
憑かれていたと思う。で、何か疲れた。
いろは(仮名:小五娘)は違う。純粋に本を楽しみ、日記を書くことで遊んでいる。
その姿と自分を比べてしまったら、もういけなかった。
「何がしたいんやろ」
SNSをするのも、本を読むのも、書くことも、「為」に取り憑かれて・・・
須玖と一緒にいるとき感じる、何とも言えない居心地の良さの原因を、僕はずっと考えていた。そしてある日気づいた。須玖は、夏枝おばさんに似ていたのだ(もちろん姿形ではない)。
おばさんの芸術を愛する様子、そしてそれを決してひけらかさず、ただ愛によってのみ突き動かされている様子が、とてもよく似ているのだった。【出典】小学館『サラバ(上)』P358 著:西加奈子
別に悪いこととは思わないが、今の自分にはどうしたってもう「為」が邪魔だった。
純粋に楽しみたい。楽しむ為にしたいのだ。
・・・あ。