舞台は独ソ戦が激化した1942年の話。
ドイツがどうだった。ソ連がどうだった。
そういう歴史的な示唆を得たい人が読む本ではない。
私にとっては、戦争を知らない自分が、戦争のおぞましさを作者と一緒に想像し、
「自分だったら」
と考えながら、主人公たちの生き様を体験していく本でした。
■ 『同志少女よ敵を撃て』ブックトーク
モスクワ近郊の農村で暮らすセラフィマ。
母親とともに鹿狩りに出かけ、帰ってきたとき、村の異変に気づく。
ドイツ軍が村を急襲している。
家族のように暮らしていた村民たちは、整列させられ・・・
猟銃を手にした母は、村民を助けるため、指揮官にその銃口を向けるが、銃声とともに撃たれたのは、隣にいた母であった。
近づいてくるドイツ兵。
連行され連れて行かれた場所はなんと、偶然にもセラフィマの生家であった。
そこにはドイツ兵がおり、さらに、母を撃ったであろう狙撃兵も。
奥の部屋には親しかったおばさんとその娘の死体があり、服を剥ぎ取られ、裸のまま殺されていた。
セラフィマ自身、女たちと同じ目に遭いそうになる寸前で、赤軍の兵士たちに救われる。
赤軍の指揮をとっていたのは、女兵士イリーナ。
唯一の肉親である母を殺され、村のみんなも殺されたセラフィマには、もはや生きる気力の何もかもを失っていた。
そんなセラフィマにイリーナは問う。
「戦いたいか、死にたいか」
「死にたい・・・」
「どうせ死ぬなら」
とイリーナは、家にある写真立てや思い出の食器を潰しにかかる。
セラフィマは叫んだ。やめて。思い出とともに死なせて。
イリーナはやめない。そして、あろうことかセラフィマの母の遺体に油をかけ、目の前で火をつけた。
「殺す」
イリーナは向かってくるセラフィマを叩きのめし、もう一度問う。
「戦いたいか、死にたいか」
「殺したい」
セラフィマはナチドイツ兵を、あの狙撃兵を、そしてイリーナ、お前を殺すと心に誓い、狙撃兵になることを決意する。
この後、狙撃兵となり、仲間の死、敵の死の数々をセラフィマは見ていくことになるのですが、彼女、つまり同志少女が撃つ『敵』は、いったい誰だったと思いますか?
■ 『同志少女よ敵を撃て』
何もかもを初っぱなに失ってしまった主人公セラフィマですけど、彼女は色々得ていくんですよね。
狙撃の腕、仲間、絆、痛み、思い出、思想、志・・・
戦争というとんでもない状況の中で、価値観の全てを書き換えて多くの人々が悪魔になっていくんですけど、セラフィマ自身は。
あぁネタバレになっちゃう。語りたい。
一緒に読んでくれようとしている人も友だちでいました。
同志〜今日買ったばかり!むちゃくちゃタイムリー!
— ewen【いうぇん】@エンジニアブロガー (@EwenEwenEwen) 2022年5月22日
夜と霧はね……心理描写が重いよね……
いうぇんちゃんです♪
あなたもどうですか?
一緒に読みませんか?